先日、経産省の方とお話をする機会があった。
その際に「日本というこの場所をいい場所にしたい」とおっしゃっていたのが印象的だった。
個人が一つの場所に100%滞在することはほとんどない。
例えば僕は、今は主に東京にいて、栃木やパリに時々滞在している。
「その人にとっての何パーセントかの場所のひとつである『日本という場所』を良くしていくのが僕の仕事」とその方は続けた。
「この国」と言うと日本という国籍が壁になる部分もある。
でも「日本という場所」は、国民も含めて旅行者や、あらゆる人にとっての場所。
その『場所』をいいものしていく姿勢は、とても誠実な姿勢に見えました。
僕もこうやってフラットに物事に向き合いたい。
書道でもきっと似たような考え方ができる。
例えば「いい書道がしたい」と言ったとき、
そのメッセージには『書道』という一つの境界ができる。
つまり筆で文字を書くとか、墨を使うとか、和紙に書くとか、いわゆる一般的な書道の『ルール』が適用される。
一つの共通認識を持てるというメリットがある半面で、書道の知識がなかったり関心のない人たちを、その表現の対象から排除することになりかねない。
書道は言葉。
僕は常々そう意識している。
どれだけ誠実に言葉を表現できるのか。
どれだけ豊かに言葉を表現できるのか。
その一つの手段が、一般的に『書道』と考えられているような筆や墨、紙を使うことであって、もちろん他にも手段はたくさんあると思う。
どんな手段になる場合でも、自分にとっての書道とは「言葉を表現するもの」です。
「この言葉を、いい言葉にしたい」
そんな思いで書に向き合うことを改めて感じた夜でした。
小杉 卓