粟野小学校創立150周年記念式典にて

先日、地元鹿沼市の粟野小学校で150周年記念式典が行われました。

私は、地元出身ということでお招きいただき式典の後半に書を披露する時間をいただきました。書かせてもらった作品は2つ。それぞれの大きさは、横200cm、縦400cm。会場の皆さんの前で作品を書き、私からの話として、「書」をどのように楽しんでもらいたいか、そしてこの日に書き上げた作品の言葉をどのような理由で決めたのかを紹介しました。

その中でどんな話をさせてもらったのかを以下に書き留めておきたいと思います。当日は原稿を見ながら話をしたわけではないので、細かい表現や話の順番は必ずしも同じではありません。それでも、会場でお話を聞いてくださった方がこのテキストを読んでも、おおよそ「このような内容だった」と思っていただけるのではないかと思います。

最初に私からの自己紹介として、書に向き合うきっかけになった出来事を紹介させてもらい、その後に2つの作品を書きました。二つの作品それぞれにどんな言葉を書いたのかを説明し、なぜその言葉を書くことに決めたのかを紹介しました。そんな時間の流れを想像しながらお読みいただけたら幸いです。

会場は鹿沼市立粟野中学校の体育館。お話を聞いてくださったのは小学校の全校児童、教職員のみなさんと、式典の来賓としてお集まりいただいた地元の方々です。

 

「粟野小学校創立150周年式典にて」

書家の小杉卓です。このような機会をいただきましたことに、心から感謝申し上げます。私はこの鹿沼市で生まれ、大学に入学するまでの18年間を過ごしました。実は私の祖母、そして母もこの粟野小学校の卒業生です。

私が書道を始めたきっかけは、祖母が近所の子供たちを集めてひらいていた書道教室でした。児童の皆さんも、書道の授業や書道教室で書道に触れる時間があるでしょうし、お集まりいただいている地域の皆様も、子供の頃に学校の授業で書を経験している方が多いのではないかと思います。

私は小学生の頃から書を続けていますが、始めた頃から書道が大好きでした。教え方が上手だった祖母に感謝しています。高校そして大学と、書道を続けていましたが、その頃に私が考えていたのは、あくまでも趣味として書道を続けていこうということでした。

そんな私の、書道への考え方を大きく変える経験が2011年にありました。東日本大震災でのボランティア活動での経験です。

(その経験について話した内容は以下のブログでも紹介しています)

なぜ僕は書家になろうと思ったか。

書き上げたふたつの作品

「風 水 〜この音に耳をすませ あの色に目をこらせ〜」

「木 土 〜大地に根をはり 天までのびろ〜」

粟野小学校の皆さんの、いま皆さんの目の前にある音を、そして色を、ありのままで正面から楽しみきってください。

いつしかその音が、自分の中の「音叉」のようなものになると思います。

自分だけの色を持った絵の具の原色になると思います。

これから何十年も、社会を生きていくとさまざまなノイズと出会うはずです。昨今の新型コロナウイルスによる社会の変化や、国際情勢など、今まで経験したことがないような難しい出来事にも直面すると思います。

迷ったときには、この粟野小学校での経験で培った、自分だけの音叉にしっかり耳を澄ませてみてください。

直面する音と自分の中の音とが、美しいハーモニーになっているのか、それとも不協和音になっているのか。どんな時にも、自身のよりどころになるような大切な音を、自然あふれる粟野の土地で育んでください。

 

どうしてこの言葉を書いたのか

粟野小学校がうまれてから150年。とても長い時間を思わずにはいられません。

私の実家は林業を営んでいます。今日この会場にお越しいただいている方々も、林業に携わっている方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。この校舎に使われている粟野の木材を想うとき、粟野の大切な産業である林業のありがたさを考えます。

林業は、大きな時間の中で、世代を感じることができる仕事だと思います。この校舎に使われている木材は、私たちの親の世代の方々が山から切り出してくれた木材ですが、この木を育ててくれたのはその親の世代。この木を山に植えてくれたのはさらにその親の世代です。粟野小学校が設立された150年の間に何度も繰り返されてきた林業の営みが、この校舎を作っています。

書を書き上げる時間はほんの数分間ですが、書き現された言葉を通して、私の考えていることや皆さんの心の中にある大切な想いが交差するような、そんな作品になっていれば嬉しいです。

今日は、この粟野の、私の心に美しく残っていること、そして粟野小学校のみなさんにお伝えしたいことをとてもシンプルな言葉で表現しました。

皆さんにとっては当たり前に感じられる景色なのかもしれません。しかしながら、いま、自分の一つの故郷として粟野に身を置く私にとっては、心の箱の中に大切にしまわれていた一つひとつの情景を手にとってじっくり見つめるような、そんな心持ちがしています。

皆さんにはぜひ、「ああ、今朝もそんなことがあったな」とか、「自分も子供のころに楽しんだな」とか、皆さんそれぞれの想いの中で、この作品にふれてもらえたら嬉しく思います。

私は生まれてから18年間、粕尾地区で育ちました。みなさんご存知の通り、粕尾は大きな川を真ん中にして、両側を山々が囲む地域です。山に囲まれた谷合の平地に田畑が広がり、用水路が巡っています。

春には、杉や檜の木々の間の新緑が視界をおおいます。近所で採れる山菜の味を覚えたのは小学校高学年くらいの頃だったと記憶しています。タラの芽やセリの天ぷらが大好きです。

夏には、毎日のように川に遊びに行きました。雑魚を釣ったり、岩の下の魚を素手で捕まえたり、目の前の香りや色を自分の体全身で享受しました。その感触を、今もしっかりと思い出すことができます。

秋には、小学校に実ったザクロの実を、手を真っ赤にしながら、友達たちとほおばりました。

時間に色があると感じられるのは、粟野の山間の土地で冬を過ごすことができたからかもしれません。ぴんと空気が張り詰めた冬の朝は、うっすら青白く透明さを持った色に見えたように思います。

このように思い返していくと、私自身の、音や色に関わる感覚は、まちがいなくこの粟野の地で育まれたものでした。

今日ここに大きく書いた4つの言葉は、とてもシンプルな言葉です。

画数が少ないという意味では単純な言葉かもしれませんが、その意味を思うとき、決してこの言葉が単純なものではないことがわかります。

風、水、木、土。この言葉を目の前にしたときに皆さんの心に浮かぶ情景はどのようなものでしょうか。この会場にいらっしゃるお一人おひとりの、すべてオリジナルの、風、水、木、そして土があるのではないでしょうか。

世代を超えて受け継がれてきたこの粟野小学校での今日のひとときが、皆さんお一人おひとりの心の中で粟野をおもう時間になっていれば幸いです。

 

書の時間のあとに

書の作品を書き上げるとともに、このような内容のお話をさせてもらいました。

この日は朝から雨が強く降っていて、体育館には雨の音が鳴り続いていました。

どのように書を楽しんでもらいたいか、という話の中で、墨の香りや和紙と筆の擦れる音、さらにはしんとした空間や、今日の雨の音、今ここにあるもの全部と一緒に感じてください、ということもお伝えしていました。

書の時間の最後に、式典の実行委員長からご挨拶をいただいた中で、

「普通なら『あいにくの雨で…』とお話しするところでしたが、雨の音すらも演出のひとつのように感じられました」

といったお話があり、とても嬉しく感じました。

 

書を通して、大切な地元とのつながりを、私自身も全身で感じることができた1日でした。