「草書や行書が楷書よりも上手い」という誤解について。

草書や行書の書を観たときに、
「うわ~上手いですね~」という感想をよく耳にする。

もう少し詳しく状況を説明する。

書道経験がそれほど多くない人が草書や行書の書を観たときに、
作品の良しあしに関わらずほぼ瞬発的に「上手いですね~」と言うシーンに遭遇することがよくある。

彼らの反応から推し量るに、
たいていの場合において、
草書や行書=楷書よりも上手い(あるいは難しい)から、その書が草書や行書である場合それは楷書の作品よりも上手いということだ、と考えているのではないかと想像できる。

しかし、この「草書や行書=楷書より上手い」という認識はまったくの誤解である。

その理由と、なぜ多くの人がその誤解を抱いているかという原因について考えてみた。

まず、「草書や行書=楷書より上手い」という認識がなぜ誤解なのか。

書体というのはジャンルのようなものである。音楽でいえばクラシック音楽、ジャズ、ポップスのようなジャンルがある。決してジャズをやっているからクラシック音楽をやっている人よりも上手いとか、演歌をやっているからポップスをやっている人よりも歌が上手いということではないことは理解いただけると思う。

草書を書く人のレベルもピンキリだし、楷書を書く人のレベルも様々だ。書道が上手いから草書や行書を書くわけではない。下手な草書もあれば、びっくりするくらい上手い楷書もある。綺麗で整った楷書を書くというのは本当に高い技術を必要とする。書道が上手いというのは個人の技術レベルが高いということであって、決して作品の書体によって判断されるものではない。

ではなぜ、多くの人が「草書や行書=楷書より上手い」という誤解を抱いてしまうのか。

それは日本の書道教育に原因があると考えている。小中学校のころの書写・習字を思い出していただきたい。小学校低学年の頃のお手本はすべて楷書だったはずだ。それが、小学校高学年、中学校に進むにしたがってお手本は行書になっていく。小学校の先生は書体の成り立ちなどは教えずに、お手本そっくりに書くことを教える。

国語、算数、理科、社会などの科目は学年が進むにつれて複雑なこと・難しいことを習うから、このカリキュラムでは、他の科目と同様に書道も学年が進むにつれて難しいことを習っている、そう考えるのも無理はないと思う。つまり、行書は楷書よりも難しい、と。

なぜ小学校低学年の頃のお手本がすべて楷書体なのかということについては、おそらく、漢字などの基本的な知識を習っている段階であるから、文字の最も基本的な書体である「楷書」がお手本になる。ということなのだと思う。あくまでも推測に過ぎないが、これは納得できる。

では学年が進むにつれて、お手本が行書になる理由はなぜか。おそらく教育理念としては「さまざまな書体に親しむ」といったような理由があるように思う。しかし問題は、色々な書体がある中の一つとして行書に取り組む、という姿勢がほとんど皆無に近いことだ。「小学校までは楷書でした、はい中学校からは行書になります」と、まるで楷書は卒業、次はもっと難しい行書をやるよ、とでも言うかのようなカリキュラム。

現行の制度の中で書体について時間をかけて授業をするのが難しいということはよくわかる。1時間弱の授業の中で40人の生徒に準備から片付けまでを含めて書道の授業をするというのは、想像するだけで困難を極める。国語科の教員で書道を専門にしている人はほとんどいないだろうから、当然、書道の授業が少なくなるだろう。僕の記憶では、中学校の国語の授業で書道をやったのはわずか1回だけだった。

教育制度の話をしているわけではない。

しかし、われわれ日本人が書道を語る基礎知識となるはずの義務教育は、あまりに限られた情報しか与えてくれていない。なんとも寂しい。

ちなみに、多くの人が
書体は「楷書→行書→草書」の順番だと認識していると思う。

文字の線が、よりつながっているという点では正しいといえなくもないのだけれど、書体が成立した順番としては完全に間違いである。これら3つの書体が成立した順番として正しのは「草書→行書→楷書」なのである。この、書体の歴史については楷書・行書・草書以外の書体についても考えなければならないので、また後日のブログに書きたい。その書体の歴史によって、なぜ楷書が最も基本的な書体なのかということが分かってくる。

 

今回のブログでお伝えしたかったのは、

草書や行書だからといって上手いとは限りません。もちろん上手いものもあるけれど。
楷書だとしても上手いものがあるんです。もちろん下手なものもあるけれど。

ということです。