求めているのは正解ではなくて「風穴」なんだと思う。

多くの人が求めているのは「風穴」ではないかと思う。

様々なニュースや、誰かの活動への人々の反応を見ていて特に目立つのは、批判的な意見だ。ニュースそれ自体が批判的な内容であることも多い。だが、問題点や課題を好きなだけ並べていても、その先がない。議論の場にもなっていなければ自らの意見を発信している人も少ない。なんというか、批判すること自体を目的としたニュースやコメントのように感じるのだ。

こういう状況を目にすると、結局のところ多くの人が求めているのは「正解」ではなく、意見のはけ口のような風穴なのではないかと思う。

おそらくそれには、
良い空気が通る風穴と、あまり良くない空気が通る風穴がある。

批判的な意見というのは、もちろんよくない空気が通る風穴だ。人がうまくいっていない時を狙って攻撃的な言葉を浴びせる。きっとこの風穴を通る風の音は、不協和音だ。そのやり取りから誰も何も学ばずに、どんどん殺伐としていく。その風穴の先に広がる景色を想像するのは苦しい。

いい空気が通る風穴の先にはもっと大きな空間が広がっているし、きっと風の音も美しい。活動を応援したり、アドバイスをしたり、どうしたらより高みに行けるかを人々は考える。そこには自然と和音が生まれ、一つの旋律が奏でられるように風は勢いを増すだろう。

誰もがみな「風」を巻き起こせる。せっかくなら、その風でどんどんいい方向に向かっていきたいものだ。

批判ではなく、建設的な意見とか人のモチベーションが高まるような風が通る風穴を、僕は書道で開けたい。