先日、「書の教室」の会場としてお世話になっているMISTLETOE OF TOKYOのイベントで書道活動を紹介する時間をいただきました。そのときに発表させていただいた内容をブログでも公開しようと思います。
トークのタイトルは、
『書という総合芸術の片隅で』ということで、
以下3点について紹介させていただきました。
1、私は「書」をこう考える
2、MoTで企画していること
3、これから「書」がかたちづくるもの
なお、トークの前にイントロダクションとしてパフォーマンスも披露させていただきました。
さて、まずは自己紹介。
祖母の書道教室で書道をはじめ、
2011年の東日本大震災で書の考え方が大きく変わり、
新卒ではマイクロソフトに入社し、
2016年に独立、1年間パリに滞在後、現在は東京を中心に活動しています。
といういままでの経歴を紹介。
それではトークの本題に入っていきます。
まずはじめに、今までの経験から私なりに考える、「書」を構成する4つのレイヤーをまとめました。
私は「書」をこう考える
◎絵画性
綺麗な字を書く、という広く認識されている書の意味合いとしては一番馴染みのある考え方ではないでしょうか。言葉・文字を視覚的に美的に表現するという意味で、書は絵画性を持っていると言えます。
◎身体性
書き手にとって筆を動かすことは身体運動であって、作品の大きさによっては(例えば人前で披露するようなパフォーマンスの場合は)、スポーツのような全身運動を伴います。また、墨の「香り」は書き手だけではなく見ている人の嗅覚をも刺激します。
◎音楽性(時間性)
書は他の多くの絵画と違って、作品をどこから書き始めてどこで書き終わるかというのが、文字の書き順という要素によって明確にわかります。ライブで書く際はもちろん、完成した作品を観るときであっても、その鑑賞には“時間性”があるのです。筆の動かし方はリズムをつくり、和紙と筆の擦れる音は、静寂への一つの表現になりうるともいえるのではないでしょうか。
◎文学性(言語性)
書は言葉です。作品として書かれる言葉がどんな言語・テーマであっても、詩や小説の一説のような文学性を帯びています。古典として今に伝わる書の作品の多くが、同時に文学作品としても貴重な資料であることがほとんどです。
こういったレイヤーから構成される書は、東洋の総合芸術と言っても過言ではないと私は考えています。
「総合芸術」といってまず思い浮かべるのは、西洋の総合芸術と言われるオペラです。舞台美術、音楽、歌、振付など様々な芸術要素を含む芸術であることから、そのように呼ばれます。
オペラの芸術性は、大きなコンサートホールや極彩色の美術などに表れているように、“拡張性”にその特徴があると考えていますが、一方で書の芸術性は、モノクロの色彩や平面上の表現など、拡張とは逆の“集中”にその特性があるのではないかと考えています。ちなみに、「能」も“集中”の総合芸術ではないかと思っています。
さらに書の面白い点は、より多くの人が鑑賞者だけでなく表現者としてその芸術に取り組むことができる点だと思います。筆や硯、紙などの基本的な道具(広い意味で考えるならばペンとノートでも)、そして言語の知識があれば、あとは作り手の意志さえあればそこには書が表現されます。
そんな書の魅力を多くの人と共有したいという考えから企画したのが、MoTで実施している「書の教室」です。
2、MoTで企画する“書の教室”
書の教室では、
書を通して『社会』と『自然』に向き合い、自己を表現すること
書を通して参加者が対話し、コミュニティを豊かにすること
を目標として、古典臨書と創作の時間を月に2回のペースでアレンジしています。
言葉の解像度を上げる
芸術に取り組むことは、社会が今どうあるか、どうなろうとしているかを感じることです。情報があふれる現代社会の中で、社会に向き合う自分の感情や、身の回りの環境の揺れ動く様を感じとることは簡単なことではありません。
書は言葉の芸術です。書を通して、自然の移ろいや社会への眼差しを言語化することは、同時に自身の感性の言語化でもあります。そうして、自分の言葉で社会をとらえようとする試みこそが「書の教室」の目指すあり方です。
季節や社会への感覚を言語化することは、「自分の生活を自分の言葉でかたちづくる」ことです。
書の教室を通して、言葉の解像度を上げていきたいと思っています。
そしてトークの後半には、これまで取り組んできた書のプロジェクトの紹介と、これから取り組んでいく方向性を紹介させていただきました。
3、これから「書」がかたちづくるもの
アート作品やインテリア、ロゴ制作などを紹介。
そして、これからどんどん広げていきたい分野が「言葉のデザイン」です。
最近では企業や地域のブランディングに携わる機会をいただいています。書の作品を制作するだけではなく、クライアントのビジョンやコンセプトとなる「言葉」そのものをデザインしていくことも、これからますます私が取り組んでいきたい分野の一つです。
クライアントの思いやビジョンをヒヤリングし、ターゲットとなる顧客の動向とのギャップを、言葉をもってデザインしていく。キーとなる言葉をきちんと生み出すことができれば、サービスや商品の展開はその軸をベースにすることでより洗練されたブランドを構築していくことができるはずです。
たとえば、現在関わらせていただいている能登の「春蘭の里」。
文字そのものの表現としてはたとえば
こんなパターンが考えられるわけですが、
2つの「春蘭の里」から受けるイメージは、それぞれ全く異なるものではないでしょうか。
実際に、春蘭の里のみなさんがどんな想いをもって、どんな人にその想いを届けていきたいかによって、言葉の方向性は大きく変わってきます。その「想い」の一番の根っこにある軸を、クライアントの言葉を整理しながら作り上げていく、そんな活動を展開しています。
マイクロソフトでコンサルタントやセールスで経験したことがいま、書の経験とうまく融合しているような感覚です。
そして、2年前から本格的に取り組んでいる、クラシック音楽と書を融合させた舞台「音と言葉の間」。
音楽を単なるBGMとしてではなく、
書を単なる字幕としてではなく、
それぞれの表現が影響し合いながら舞台の上で時間と空間が表現されていく。
そんな舞台表現に挑戦しています。
2019年の舞台の様子をこちらの動画でご覧いただけます。
このような内容で、
私が考える「書」がどんなもので、
MoTでは、こんな考えのもと「書の教室」を企画していて、
これから書で、どんどん社会をかたちづくっていく。
といったことを紹介させていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
小杉 卓
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