「ついに自由は彼らのものだ」
三好達治さんの詩『鷗』をモチーフとした作品です。
自らの眼で見、自らの判断をし、自らの行動にうつす。
本性のままの純粋な生き方というものを、今日を生きる私たちはどれだけ体現できているでしょうか。
数字やお金に惑わされ、時間に追われ、本当に大切なものに目が届かなくなっていることに、先の震災はその自然の力をもって私たちに気付かせてくれたのかもしれません。
自由であるということは、テレビや新聞で見聞きすることでも、辞書に書いてあることでも、ましてや人から与えられることでもありません。
もっともっと単純で、すっきりしたものだと思います。
みなさんにとって、自由とは何でしょうか。
「鴎」は、第二次世界大戦の戦後まもなく発表されました。
戦時中、あらゆる自由な表現が抑制され、戦争礼賛の詩を書き続けることとなった三好がようやくその胸の「思い」をささやかに、そして力強く世に表現したものであるとされます。
何度も繰り返される「ついに自由は彼らのものだ」という言葉に込められているのは、二度と声をかけることのできない、戦争で命を落とした人々への祈りであると同時に三好自身も含めて、生き残った者たちの決意ではないでしょうか。
それ故、この詩によって唄われる自由は「我ら」ではなく「彼ら」のものなのです。
多くの犠牲を払う戦いで得るものでも細々した論理で築き上げるものでもない、「ひとつの言葉で事足りる」ようなもの。
そして大地に根差し、そこに人々の「思い」と「暮らし」がある。
きっとそんな生き方を自由というのではないか。
自由を支えうるものはお金でも権力でも武器でも、そして論理でもない。
自らの二本の足と「思い」なのだと思います。
「鴎」(三好達治)
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
ひとつの星を住みかとし
ひとつの言葉で事足りる
ついに自由は彼らのものだ
朝焼けを明日の歌とし
夕焼けを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ
小杉 卓
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