「ついに自由は彼らのものだ」
三好達治の詩『鷗』をモチーフとした作品です。
この作品は、詩人・三好達治の詩『鴎(かもめ)』をモチーフにしたものです。
そして、その詩の中で何度も繰り返されるこの言葉——「ついに自由は彼らのものだ」——に、私は深い祈りのようなものを感じました。それは声にならない祈り。あるいは、言葉を尽くすよりも静かで、鋭くて、それでいてどこか優しい響きを持つ祈り。
「自由」という語のまわりには、往々にして多くのノイズがつきまとう。
政治的な意味、経済的な意味、思想的な意味。テレビやSNSでは、毎日のように誰かが「自由」の定義について語り、またその限界について論じています。でも、本当に私たちの暮らしのなかで感じる「自由」って、もっと静かで、単純で、そっと胸に染み込んでくるものなのではないかと思うのです。
三好達治がこの詩を書いたのは、戦後まもない時期のこと。戦時中、詩人として「書かされる」ことの重圧と葛藤のなかで生きた彼が、自らの言葉でようやく綴ったのがこの『鴎』でした。
くり返されるフレーズ——「ついに自由は彼らのものだ」。
この「彼ら」とは、戦火に散っていった人々のことかもしれません。そして、同時に、もう戻ってこない時代の向こう側にいた「無垢な存在」でもあるのかもしれません。
私がこの書を書いたのは、「その声なき声」に少しでも近づきたかったからです。声を発することができなかった人々の、あるいは時代のなかで声を抑えられていた人々の「魂の輪郭」を、筆の線で描けないかと思ったのです。
自らの眼で見、自らの判断をし、自らの行動にうつす。
本性のままの純粋な生き方というものを、今日を生きる私たちはどれだけ体現できているでしょうか。
数字やお金に惑わされ、時間に追われ、本当に大切なものに目が届かなくなっていることに、先の震災はその自然の力をもって私たちに気付かせてくれたのかもしれません。
自由であるということは、テレビや新聞で見聞きすることでも、辞書に書いてあることでも、ましてや人から与えられることでもありません。
もっともっと単純で、すっきりしたものだと思います。
みなさんにとって、自由とは何でしょうか。
「鴎」は、第二次世界大戦の戦後まもなく発表されました。
戦時中、あらゆる自由な表現が抑制され、戦争礼賛の詩を書き続けることとなった三好がようやくその胸の「思い」をささやかに、そして力強く世に表現したものであるとされます。
何度も繰り返される「ついに自由は彼らのものだ」という言葉に込められているのは、二度と声をかけることのできない、戦争で命を落とした人々への祈りであると同時に三好自身も含めて、生き残った者たちの決意ではないでしょうか。
それ故、この詩によって唄われる自由は「我ら」ではなく「彼ら」のものなのです。
多くの犠牲を払う戦いで得るものでも細々した論理で築き上げるものでもない、「ひとつの言葉で事足りる」ようなもの。
そして大地に根差し、そこに人々の「思い」と「暮らし」がある。
きっとそんな生き方を自由というのではないか。
自由を支えうるものはお金でも権力でも武器でも、そして論理でもない。
自らの二本の足と「思い」なのだと思います。
何度も書きながら、思い出していた風景
この作品を書くために、私は何度も紙を前に座りました。墨の匂いがゆっくり部屋に広がっていく中で、ひと筆ごとに集中し、そして迷いました。
「ついに自由は彼らのものだ」
この一文のなかに、どれほどの思いが込められているだろう?
私はこの詩に触れるたびに、胸の奥が静かに熱を持つのを感じます。それは怒りや哀しみとは違う種類の感情で、もっと深くて、ゆっくりとした、でも確実に沈んでいくものです。
戦争というものの本当の姿を、私は直接的には知らない世代です。でも、その記憶や痕跡は、今も確かに空気のように私たちの生活の中に残っているように思います。
詩の中で、鴎たちは恋をし、雲を寝床とし、海を舞踏室とし、そして「ひとつの言葉で事足りる」と語られます。その姿は、私たちが日々追いかけている「もっと多く」や「もっと速く」とは、まるで逆の方向にあるようです。
書くという行為は、静かな対話
筆をとるという行為は、時として自分との対話に近いものになります。
自分の中にある言葉にならない感情や、まだ形になっていない思考を、一本の線や文字に託していく。それは言葉を紡ぐよりももっと身体的で、もっと本質的な営みです。
この作品では、繰り返される「ついに自由は彼らのものだ」という言葉を、あえて重ねて、重ねて、さらに重ねて書きました。まるでそれが心の中に何度も何度も反響するかのように。
同じ言葉なのに、そのときどきで筆圧も、線の角度も、かすれ具合も変わってくる。ある一行は静かで穏やかに、別の一行は強く、荒々しく、そしてある一行は哀しみを抱えるように滲んでいく。まるで筆が、そのときの「思い」の波を受け取っているかのようです。
「彼ら」の声が、今を生きる私たちに語りかける
この詩の主語は「我ら」ではなく「彼ら」です。
そこに込められた意図を、私はとても重く受けとめています。生き残った「私たち」が「自由を得た」と言うのではなく、「彼ら」が自由になったと言う。そこには、祈りと贖罪と、決意とが、ひとつになって込められているように思います。
自由というのは、声高に主張するものではなく、誰かの犠牲の上に静かに存在しているのかもしれません。
この詩が書かれた当時から、80年近くが経とうとしています。けれど、今この瞬間にも、世界のどこかでは「自由」が奪われていて、それはかつての日本となんら変わらないかもしれません。
それでも、私たちは歩いていかなければならない。自分の足で、自分の言葉で、自分の「思い」を携えて。
あなたにとっての「自由」とは?
「自由って何だろうね」と、この作品を観た人と語り合ったことがあります。その問いこそが、この作品の存在理由だと私は思っています。
答えはひとつではありません。きっと100人いれば、100通りの「自由」がある。それでいいんです。それがいいんです。
私にとって自由とは、誰にも支配されず、でも孤独にもならず、自分の手で世界に触れていくこと。誰かと何かを一緒に感じたり、味わったり、つながったりできること。
そして、誰かの痛みを「データ」や「情報」としてではなく、体温のある「自分ごと」として感じられること。
それはまさに、『鴎』の詩が目指した場所そのものなのだと思います。
書の作品「ついに自由は彼らのものだ」について
筆でこの言葉を表現する際、私はあえて飾りや装飾を排しました。できるかぎり素の状態で、言葉だけが立ち上がってくるように。墨のかすれやにじみさえも、むしろそのまま残しました。感情の震えが見えるように。
あなたの中に、この言葉はどんなふうに響くでしょうか。
「ついに自由は彼らのものだ」
それは、過去のある瞬間へのレクイエムであり、今を生きる私たちへの問いかけであり、未来への祈りなのかもしれません。
自由は、どこか遠くにあるものではないのです。ふと気づけば、私たちのすぐそばに、静かに佇んでいる。
そして、いつか——。
それが「わたしたち」のものになる日がくるのかもしれません。
「鴎」(三好達治)
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ
ついに自由は彼らのものだ
ひとつの星を住みかとし
ひとつの言葉で事足りる
ついに自由は彼らのものだ
朝焼けを明日の歌とし
夕焼けを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ
小杉 卓