この期間に蓄えたエネルギーをもって覚醒したさきに、たしかな希望が見据えられることを願います。

 

「希望は覚醒のさきにある」と題して制作。

作品が希望そのものになることはないでしょうけれども、書かずにはいられないという自分の熱を、きちんと書き残しておかなければいけないなと思います。

 

作品は「希望」と「覚醒」の言葉を左右に書いています。

希望という言葉は、私の個人的なイメージでもあるのですが、それだけではなんとなく“こそばゆい”ものでもあります。

その理由はなぜかといえば、「希望」の言葉が内包する楽観性がいま目の前にある困難を隠してしまうような、そんな気がしてしまうのです。

希望を語り実現させるためには、直面する困難を経験して得られる知見や時間が必要のように思いますし、そういったある種のイニシエーションを経た目覚め(覚醒)を、希望とともに語りたいと考えたことから、これら二つの言葉が今回の作品の要素となりました。

 

東日本大震災の直後、
「なにかしなければ」と、今思えば大変に心もとなく、そしてあまりに漠然と考えていた一学生にすぎませんでしたが、たくさんの方の活動に支えられながら東北での支援活動に参加できました。

お世話になった先輩や社会人の方々から多くのことを学び、社会をかたち作ることの切実さとあたたかさを知りました。

少し大げさな言い方かもしれませんが、それは覚醒と希望の連続だったと言ってもいいかもしれません。

 

ボランティア活動での出会いと、書を志すきっかけになった出来事はこちらの記事に詳しく書いています。

なぜ僕は書家になろうと思ったか。

 

不穏な時期が続いていますが、
この期間に蓄えたエネルギーをもって覚醒したさきに、たしかな希望が見据えられることを願います。

身の回りで起きている事態をうまく把握することすらも簡単ではありませんが、しかしいつかこの霧が晴れるときのためにと、自分にできることを模索する日々です。

 

小杉 卓

 

こんな記事も書いています

あんなにも待ち遠しかったこの季節があまりにもあわただしく終わろうとしている。

書という総合芸術の片隅で。