あんなにも待ち遠しかったこの季節があまりにもあわただしく終わろうとしている。

冬の終わりころから書きためた季節の言葉をまとめました。

作品展を気軽にのぞくようにご覧いただければ嬉しいです。

 

寒い季節には「今日は春のような日」と言っていたのに、いつのまにか「今日は冬のような日」と言って春を迎え、あんなにも待ち遠しかったこの季節があまりにもあわただしく終わろうとしています。

生垣や山々の、冬には枯れ木だった樹々が、少しずつ、少しずつ葉を出し色を変え、もう少しで青葉になる。夏が近い(いよいよ来週には立夏を迎えます)。

外出する機会が少なくなってから、これまで見過ごしてきた色や香りに何かと目が向くようになったかもしれません。

 

「あまびえ」

疫病と豊作を予言するというアマビヱ。

海彦、天日子、尼彦などその表記と語源には諸説あるようです。

 

「玉雪開花」

美しい雪が樹に降りかかり花が咲く。

 

「壽山樹色籠佳氣」

目出度い山の樹々には、佳き空気が立ち籠っている。

 

「雨」

言葉のイメージがどう変化するかを考える参考作品として「雨四種」を書きました。

たとえば目の前の雨の情景からどんな「雨」の言葉のイメージを抱くか。

あるいは、ここに表現された雨の作品からどんな「雨」の情景を連想するか。

同じものを観察しても、少しずつ感性の違いが見えてくると思います。

 

「旭日昇天」/「雲外蒼天」

 

「志懐霜雪」

志はいさぎよく高尚で霜雪を待つようだ。

 

「天地回春律」

この世は春の時候となった。

 

「晴野花侵路。春波水上橋」

日和よき野辺の花は路の上にまで咲きかかり、春の波はみちみちて水は橋に上らんばかり。

 

「真樂」

中村紘子さんの「チャイコフスキー・コンクール」を読んで印象に残ったのは、“音楽的”という言葉は音楽表現を評価するだけではなく、本来あるべき音楽と区別される場合にも使われるものという記述。

昨今はオンラインで○○的な体験をすることも増えましたが、本来の○○は何かにも意識を向けたい。

 

「風嘯(かぜにうそぶく)」

身に受ける風が気持ちのいい季節。

吹く風に向かって、大きく声を出したいときもある。

 

「萬國春風百花舞」

春は何れの国にも訪れ多くの花は舞うかとも思われる。

 

「愛間静(かんせいをあいす)」

物静かさを楽しむの意味。

いまこのときは喧騒を離れて、静かな空間、時間を充実させる時期。

 

「以風鳴冬」

風をもって冬に鳴る。

この作品は四季の中の「冬」の部分。

 

鳥をもって春に鳴り、
雷をもって夏に鳴り、
虫をもって秋に鳴り、
風をもって冬に鳴る。
(韓愈「送孟東野序」より)

中国・唐時代の文人、韓愈の言葉です。

天は四時万物から己の音を尤もよく出す物を選んで楽器の如く鳴らす。韓愈は人もまた然りと言います。すべて平静を得ざれば鳴る(聞こえてくる)ということで、四季に合わせた言葉。

一方で、枕草子の四季の段ではそれぞれの季節を趣深い“時間”という視点で表現していますが、中国の韓愈は季節の“音”で四季を表現していたのは興味深い。

「送孟東野序」ではこのように続きます。
『人の精神も、その人の体をして鳴らしめる。鳴るとは即ち言葉によってである』

言葉をもって人は鳴る。
言葉は、人の「音」なのかもしれません。

 

小杉 卓

 

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