『僕がヴェネツィアで語ったこと、書いたこと』~大学での講演と書道パフォーマンス~
12月中旬のよく晴れた午後、パリから1時間のフライトを経てヴェネツィアに到着した。
ちょうど夕方の時間帯、空を反射した運河と角度の浅い光とがその街の美しさを際立たせていた。
話には聞いていたけど、本当に『水の都』だ。それまで頭の中にしかなかった世界に身を置けるというのは、ゾクゾクする。
なぜ僕がヴェネツィアを訪れたかというと、ヴェネツィア大学の日本語学科で書道についての講演とパフォーマンスを予定しているためだ。
それにしても街が綺麗だ。
今にも散歩に出かけたい。
こちらは運河に面した造船所。
うおおおお、ジブリ「紅の豚」の世界観そのまんまじゃないか。こうした造船所は今ではヴェネツィアにも2カ所しかないそうだ。
もっと近くでじっくり見学したいところだが、僕がやらなければならないのは講演の資料作りと、パフォーマンス用の資材の買い出し。
ということで、
友人にオススメしてもらったシャレオツなカフェ「Caffè Florian」でカフェラテ(このお店がカフェラテの発祥らしい)をすすりながら、観光客に紛れて(僕も観光客みたいなものだが)パソコンをカタカタせっせと資料を作る。
何とかまとまったプレゼンの資料。
タイトルは
”Japanese Calligraphy
~The Meeting Point of Language and Art~”
これでいきます。
講演の内容は、正直とても迷った。
書道をしたことがない学生がほとんどでしょうから、書道の基本的な情報、中国と日本の書の歴史や古典作品を、わりと『カタい』感じでまとめてみた。
学生との事前打ち合わせで気付いたこと
この写真はヴェネツィア大学のキャンパスの一つだ。
大学の複数の建物が街に点在していて、中にはこうして水路に面しているキャンパスもある(エントランスはちゃんと歩道に面している)。
そのキャンパスの一室で、講演の前日に教授・担当の学生との打ち合わせがあった。
何を語るべきか前日になっても悩んでいた僕にとって、この打ち合わせは大変助かった。
話の内容を決めるうえで、大きなヒントになったのは打ち合わせのときに学生が「ブログの言葉と作品にとても感動しました」と話してくれたことだった。作品やブログの記事を事前に観てくれていたというのは本当にうれしい。
それまでの準備では歴史や古典作品をみっちり準備していたが、そうではない。「自分が」話す意味は、自分にしか話せないことを話せばいいんだと、とても明確になった。
打ち合わせが終わるとすぐにホテルに戻って、思いきって資料を大幅に作り替えた。
このブログで紹介している東日本大震災のときの自分の経験や、書家を志した想い、大切にしている感覚や自分の作品、そしてこれから書道で表現したいことをしっかり伝えられるよう構成した。
その夜は雪が降った。
昨日は水の都。
今宵は雪の都。
静かな夜に、雪が積もった。
講演で語ったこと、パフォーマンスで書いたこと
講演の会場となった大学の建物は、かつては海に面した倉庫だったそうだ。ここ最近になって大学に作り替えたところで、倉庫だったころの梁やレンガの柱がそのままに残されていながら、モダンな図書館を併設していた。
講演が始まる30分くらい前からどんどん学生が集まり始め、ありがたいことに満席になるほどの学生・先生が集まってくれた。
そして講演が始まる時間を迎えた。
開口一番、「これは一つの言葉です。何を意味するか分かりますか?」と問いかける。
会場がざわつく。
そのざわめきの中で、ある学生が「あめ」と言うのが聞こえた。
「その通りです。書道とは言葉を書くこと、言葉を表現することそのものです」
もう一つのエピソードとして、
学生の多くもきっと知っているであろうこの人の話題も紹介した。
スティーブ・ジョブズはあるスピーチでこんなことを言っている。
“Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed…(…)
It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can’t capture.“
Stanford’s 2005 graduation speech.
西洋にも美しいカリグラフィーが確かにある。
しかし、これから僕が話す書道とは違う部分があって、一方でもちろん似ている部分もある。
それを感じ取ってもらい、書道の可能性にワクワクしてもらえるような話ができれば、ということで話を進めていく。
東洋の書の根幹である漢字・書体がどのように生まれてきたか、古代中国の歴史や、それが日本に伝わった背景をシンプルに紹介していく。
話を進めるにつれて会場の空気がジワジワと盛り上がっていくのが分かった。コンサートを聴きに行くときは拍手をする側だから、その会場の熱気というかテンションの高まりというのはよく分かる。学生の反応がとてもみずみずしく、ワクワクしながら時間が過ぎていく。
パフォーマンスの直前には、僕自身が書道を志すきっかけとなった出来事を紹介した。
大槌の「臼澤鹿子踊」との出会いを紹介するために、実際に鹿子踊の映像を会場に流した。お囃子のリズム・旋律に、学生たちは興味津々だ。
そして、パフォーマンス。
揮毫した言葉は、
「海響 ーこの海から日は昇るー」
海を目の前にするといつも思うことがある。
どの街で見る海も、それぞれ違った表情がある。
全部違う海だけど、
本当はすべて繋がった一つの同じ『海』だ。
ここヴェネツィアでも、街のどこを歩いていても海の音を感じた。
そして、大学という知の『海』から日が昇るように、一人ひとりが未来を担う人として、という想いを書き上げた。
講演もラストスパート。
人の想いや自然の言葉を大切にしたいこと、
そして、音楽や舞台美術、ファッションなどの分野の中でも書を表現していきたいことを伝え、
最後は「一番シンプルな漢字」を表現した作品で締めくくった。
講演を終えて
終演後、先生方からは「大学の授業では教えられないことを学生に伝えてくれた」と言っていただき、次にヴェネツィアを訪れるときにはぜひ学生の皆さんにも書道を体験してもらえるようなワークショップを企画したい。
ヴェネツィア大学の日本語学科はイタリア随一といわれていて、中にはとても流暢な日本語を話せる学生もいる。講演・パフォーマンスをサポートしてくれた学生の一人、マッテオさんも日本語がペラペラだった。日本に留学したいというマッテオさん。今度は日本で彼をサポートすることができたら嬉しい。
自分の好きなこと、大切にしていることを丁寧に言葉にして伝えること。
それは国が違っても言葉が違っても、何より大切なことだと感じたヴェネツィアでの数日間だった。