僕は基本的にとてもポジティブな人間です。
生まれつきそうだったかどうかは覚えていませんが、前向きであるために普段の生活の中で意識している言葉遣いがいくつかあります。
「灯台もと暮らし」や「SUSONO」を運営する鳥井さんのブログをきっかけに、自分が意識している「言葉遣い」をあらためてまとめてみました。
鳥井さんがおっしゃっているように、
人格⇒言葉遣い
というよりも
言葉遣い⇒人格
つまり、普段使っている言葉によって僕たちの意識や姿勢が作られているように思います。
そこには無意識的な部分も少なくないでしょうが、ほんの少しの言葉遣いを、より前向きに変えていくことを意識しています。
「すみません」ではなく「ありがとう」
落としたものを拾ってもらったときや、お土産をいただいたときなど、
「(どうも)すみません」
と、感謝を表すシーンで「すみません」を使う人は多いと思いますが、僕ははっきりと「ありがとう」と言うようにしています。
相手に気を遣ってもらって、あるいは時間をとらせてしまって申し訳ない・恐縮だという気持ちが「すみません」なのかもしれませんが、個人的にはそれより「やってくれてありがとう」の気持ちが前面にあった方が、お互いに朗らかな気分になれるように感じます。
「~でいい」よりも「~がいい」
「朝食はご飯とパンどちらがいい?」
たとえばこう聞かれたときにみなさんは何と答えていますか?
複数の選択肢から特定のものを選ぶ際に気を付けているのは、「~がいい」と言うことです。
ほんの一文字しか違いませんが「~でいい」という妥協を含む言い方よりも、「~がいい」と伝える方が、自分の意志としてそれを選択していることがよりはっきりしますよね。
あまり主張し過ぎるとただのわがままになってしまう側面もありますが、相手が用意してくれている選択肢に「~でいいよ」などと上から目線で答えることがないように気を付けたいものです。
前置きとしての「なんか、」をやめる
「なんか、--だよね。」
これも会話の中で頻出する表現ですが、極力控えるようにしています。
おそらくこの「なんか、」には「何か感じることがある」というニュアンスがあると思っていて、大切なのはその「何か」が何なのかをもう少し深堀りすることだと思うのです。
将来性を感じるトピックであれば
「ーーはうまくいきそうな気がするね」
不安を感じるトピックであれば、
「ーーのところが違うのではないか」
と、よりはっきり自分の感じていることを言葉にするようにしています。
あえてお茶を濁したいと思うシーンでは話は別ですが、自分の意識を言語化することを避けてはいけないと思っています。
自分の意識は、言語化でカタチにしてようやく、話し言葉や書き言葉になり、そしてゆくゆくは自分の姿勢を形作っていくものではないでしょうか。
自分が何を感じているかを言語化することを避けてはいけないと思います。
もちろん、言語化よりも先に直観的に動くことや、言語化しないことで保たれるイメージを否定するつもりはなく、むしろスポーツや芸術に取り組むときはこの感覚がとても大切なことは言うまでもありません。
しかし、スポーツや芸術であっても、人にアドバイスをしたり、一緒に作品を鑑賞する際に避けては通れないのが言葉でのコミュニケーションです。
より明確に、そしてよりポジティブな言葉遣いを意識することは、自然とポジティブな姿勢を作ってくれていると思っています。
小杉 卓
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