フィギュアスケートに感じる“ある疑問”
2017年に引退した浅田真央さんの、のびやかなスケートがとても好きでした。
とくに、ソチオリンピックのときの浅田選手のフリースケーティングは歴史的な演技・芸術作品だったと思う。
フィギュアスケートを鑑賞していて、いつも“ある疑問”を感じています。
フィギュアスケートはスポーツなのか、という疑問です。
きわめて個人的な意見として、僕はフィギュアスケートを芸術として鑑賞したい。
しかしルール上は、間違いなくスポーツ競技なのです。
身体表現の技術、美しさを競うことをもってスポーツに定義されているものはフィギュアスケートの他にも、体操、新体操、シンクロナイズドスイミングなどがあります。逆に、バレエやダンスは、スポーツのように大きな身体運動を伴っているが芸術の一分野としてとらえられているのではないか。
フィギュアスケートの“採点基準”
フィギュアスケートは、2002年ソルトレイクシティ冬季オリンピックのスキャンダルを機に大きく採点方法が変わったそうです。
それまでは技術点、芸術点を数か国の審査員が採点していた。個人の主観が反映されやすいという懸念があり、それが2002年のオリンピックのスキャンダルで露呈したこともあり審査方法が見直されました。
2003年シーズンから採用されている現行の採点では、技術点と構成点を、技術審判と演技審判が採点する。より客観的な採点ルールのもとで審査が行われているようです。
詳しい“ルール”を知りたいと思い全日本スケート連盟のホームページを確認してみました。
しかし全日本スケート連盟のホームページではフィギュアスケートのルールガイドを確認することはできませんでした。(スピードスケートやショートトラックのルールガイドはあるのに、なぜ)。そのため、Wikipediaの情報を参照した。「構成点はこれまでの芸術点とは異なり、芸術性の評価を行うものではない」と書かれており、どれだけ美しい演技をしても、現在の採点基準ではその芸術性はまったく採点されていないのですね。
好きな作曲家の音楽を聴くように
ああ、これをもってフィギュアスケートはよりスポーツになったのだな、と思う。
このルールの中で、
いかに難しい技を、
いかに滑りきるか、の勝負。
もちろん理解できます。
一つの技を確実に決めることが一般人には想像できないくらい難しいことだとか、金メダルを目指すことが大きなモチベーションの一つになるんじゃないかとか。
音楽やバレエにもコンクールがあって、難しい曲や技をミスなく表現することは大事だし、1位をとることにも大きな意義があると思います。
でも表現の本質はそこじゃない、とも感じてしまうのです。
僕が芸術を鑑賞するとき、ああこの曲は難しいんだよねとか、あんなに高い音をよく出せるねとか、もちろん感動しますよ。でも心を突き動かされるのは、その技術以上に表現者の情熱や想いによるところが大きい。それをフィギュアスケートでも感じるという話なのです。
運動、スポーツ、芸術の違いというのは、あるルールに基づいた一つの切り口に過ぎません。だから僕は、オリンピックのフィギュアスケートを、これからも氷上の芸術として鑑賞すると思う。スポーツとして観戦するのではなく。
決して、フィギュアスケートはスポーツではないとか、オリンピック競技から排除すべしなどとは思わない。オリンピック競技だからこそ、僕のような一国民がメディアを通してその表現を鑑賞することができるのだと思う。
でも、
その表現のを観るにあたって、勝敗や順位を競う「スポーツ」としてではなく、たとえば、音楽を聴くときにモーツァルトが聴きたいとかラヴェルが聴きたいというように、
「浅田選手のスケート」が観たい、
「羽生選手のスケート」が観たい、
そんな動機があってもいいかなと思うのです。
小杉 卓