池袋は東京芸術劇場。
エントランスのポスターには大々的に『書を捨てよ』、、、、
ですが、本日の目的はまさに『書』。
石川九楊さんの書塾門下の方々の書展、『樂書会書展』を観に伺いました。
また、折よく石川九楊さんによる寸評会も拝聴することができました。
創作や臨書が並ぶ中で、作品制作にあたっての作者の考えと、その作品に対しての石川九楊さんの寸評が書く作品ごとに行われていきます。
そのなかで、書の「古典」との向き合い方についてお話しする場面があり、とても興味深く聞き入ってしまいました。
『古典は今も生きている。歴史の中に時間的な距離があるだけ』
ある作品を前にしたとき、石川九楊さんがこんな問いかけをしました。
「古典ってなんだと思いますか?」
そして話を続けます。
「古典は昔の出来事ではありません。今も生きている。単に、今とその書との間に時間的な距離があるということです」
といった趣旨のお話をされていたことが印象的でした。
古典は今も生きている。
歴史の中に時間的な距離があるだけ。
脈々と続く”流れ”があって、その流れは今も続いているわけですよね。
”Vintage”という考え方
「古典」にどう向き合っていくかは、常に悩んでいる問題でもあります。
尊敬する経営者の一人、MATCHAの青木さんが最近興味深いツイートをしていました。
ここ最近で、一番混乱した時間でした。日本人はNew→Oldを繰り返し過ぎている。そうではなく、Vintageを目指し、哲学を持つべきだという話。観光地を作るのではなく、その人のライフスタイルにつながるものを意識した方がいいものが生まれる、と。 pic.twitter.com/Mim0XIqdzB
— 青木 優 |MATCHA Inc. (@yuuu_a) October 11, 2018
”Vintage”はもともとワインの収穫にあたっての言葉で、特定の年代・場所で生産された希少価値の高いワインに対する呼称です。
今はワイン以外にもファッションや自動車など、より広い分野で使われる考え方になっていますが、これは文化的な「古典」の場合もかなり親和性のある考え方だと思います。
古典を振り返り学ぶことが大切な一方で、”Vintage”のような向き合い方はまだまだできていなかったと反省。
闇雲に古典を崇拝したり立ち返ったりするだけではなく、一つの哲学のもとに現代に享受する。そんな向き合い方をしていくこともまたひとつの”勉強”の姿勢なのかもしれません。
脈々と続く書の潮流。
その流れを掴むためにもっともっと勉強しなければ。
そして今とこれからの、しかるべき潮流をしっかり掴んでいたいと思います。
小杉 卓
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