「芸術の都」と言われるパリで考えた、「より文化的な街」をつくるために必要なこと。

Newspicksで興味深い文章に出会った。

落合陽一氏が書いた、「ポストウェブの人間・経済・日本」をテーマにした記事だ。
https://newspicks.com/news/2281929/

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少子高齢化をポジティブにとらえた未来像がトピックになった記事だが、この記事の中で「日本は、『どうすれば東京が東洋のパリになれるか』を必死に頑張った方がいい」という文がある。

特定の言葉の直接的な意味だけでなく文章の大筋を意識する、というのが自分が文章を書くようになって気を付けていることだ。だから、この特定の文章を切り取って落合氏の記事を論じることが目的ではない。

しかし、この「どうすれば東京が東洋のパリになれるか」という言葉に潜むリスクと、日本の文化的価値を育てるために必要なことをはっきりさせておきたいと思って、書いた。

 

 

「数字」を抜きにして文化的価値を育てられるか

 

僕は、東京(日本)での文化的価値の醸成には大いに賛成だ。

ただ、経済においてアメリカ型追及の結果が今の日本社会だと思うと、「それ!パリを目指せ」といって、文化的価値を高めようとすればその方法を間違えるリスクは大きいのではないか。

近代以降の歴史を顧みれば、手段が目的になってしまうのではないかと心配だ。

大切なのは「カタチ」や「数字」を抜きに日本の文化的価値を育てられるかだと思う。

 

パリの文化的価値の根拠は、市民の「自意識」

 

パリという街、それは「文化的価値の高い共同体」の象徴として多くの方が華やかなイメージを持っていると思う。確かにパリにはそういった部分がたくさんある。優れた美術品が数多くこのパリの街にあることは事実だ。

しかし、その「価値」の根拠がどこにあるかを考えたとき、美術品や街並みなど物質的なものだけではないと感じる。

美術品や街並みといったその「事実」だけをもってパリが文化的だと認識するのは短絡的に過ぎるのではないだろうか。文化的価値というものの本質はお金、つまり金額的に価値の高い美術品があるということだけではない。

 

パリの文化的価値の最大の根拠はパリ市民の「自意識」だと僕は考えている。

「美しい」ものへの理解と誇りと、厳しさ。

この街の美しさの根底にあるものは、厳しさだと思う。

 

日本をより文化的価値の高い国にするために必要なのは、市民の自意識

 

日本人は必要以上に自分を謙遜するクセがあるとよく言われている。

たしかに、特に地方の街に行ったときなどは「ここは何もないから」という声を聞く機会が少なくない。

 

しかし実際にはそんなことはないのだ。

山菜や海産物、何百年も前から伝えられるお祭り、、、。

「よそもの」としてその街を訪れた人が驚くほどの価値がそこにはある。

その価値にうまく気づいていないというポイントが、文化を育てることを考えるための第一歩だと思う。

 

だから、東京(日本)の文化価値を醸成しようとしたときにまず考えなければいけないのは、どう発信していくかということよりも、僕ら生活者自身が自らの文化価値をどう意識していくか、ということではないだろうか。

 

その地域に「こんなにいいものがあるんですよ」と、いくら綺麗ごとを並べても、そこに住む人たちの自意識が醸成されなければ長期的な価値の醸成は難しい。

ということをTwitterでつぶやいたら、友人が興味深い反応をしてくれた。

なるほど。

 

経済効果が先に立ってしまうとローカルを売りにした結果ローカルじゃなくなるという矛盾を生む。

「文化を売りにしないプライドがないと文化は売りにできない」に納得。

 

見栄えの良い広告やホームページをこしらえれば、一時的に人の興味を引くことはできるだろう。

でも、その状態を継続させることは簡単ではないし、そもそも地方創生の本来の目的は何なのだろうかと、考えてしまう。

 

まずは、自分たちが持っている文化に自信を持つことが、価値づくりの第一歩なのではないだろうか。