パリで「雨の匂い」が分かるようになって気づいた、日本語が身体に染みついている感覚。

 

パリに住んで3ヶ月、「慣れてきたなあ」と思う瞬間が生活の中で時々あります。

 

レストランやスーパーに入ったとき、買い物を終えてお店を出るときの挨拶は目を見て笑顔で、というのが自然にできるようになりました。

知らない人が結構気軽に話しかけてくることに(あまり)ビビらなくなりました。レジに並んでいるときとか電車の中で。

パリ以外の街から戻った時に「帰ってきた」感があります。

など。

 

 

「雨が降る匂い」が分かるようになったというのもその一つ。

 

朝起きて窓を開けたときに、

ん?この空気の匂いは雨が降るってことだな、と思っていると

朝食を食べているころにザーッと通り雨がありました。

 

この感覚、分かっていただける方も多いと思います。

特に日本の夏、夕立が来る前の独特の「匂い」ってありますよね。

 

実家のある栃木では、しっとりした土の匂いがしました。

土がない東京でも、湿度が高まったときはアスファルトの匂いがいつもと少し変わります。

 

パリに慣れてきたというよりは、

日本にいたころからの感覚が少しずつ解放されてきたのかもしれません。

 

今思い返せば、パリに来て、見るもの聞くものすべてに新鮮さを感じてていたころは、その刺激を自分の中のどの感覚で処理していいのか戸惑っていたのだと思います。

でも3か月過ごしてきた中で、少しずつ、外部の刺激と、自分の中の感覚がかみ合ってきた。

その一つが、「雨の予感」だったわけですね。

 

今までだったら、今朝と同じ空気を吸っても「これから何が起こるんだろう」と感じていたものが、自分の中のアメダスがしっかり反応してくれるようになったことで「雨が降るだろう」と感じられるようになったということです。

 

 

エスキモーの人たちには「雪」に関連する言葉がたくさんあるといわれるように、日本語には「雨」を表す言葉がたくさんあるといいます。

 

さっそく「雨が降る気配」という意味に近い言葉を探してみました。

雨気(あまけ・うき)

雨気付(あまけづく)

雨日和(あまびより)

雨曇(あまぐもり)

雨空(あまぞら)

雨催い(あまもよい)

雨湿(あめじめり)

など、わずか数分パソコンで調べただけでこれだけ見つかりました。

 

実際に遣ったことのない言葉もありましたが、「わかるわかる」と感じる語感の言葉ばかりです。

 

感覚というのは身体的なものだと考えることもできるけど、思考を司る言語によって形作られているともいえるのではないでしょうか。

 

言語は身体に染みついて感覚を作り上げているのかもしれない。

そう思ったパリの朝でした。