ムッシュー、その工事現場に何を見ているのですか。

自分の街がつくられていることに興味がありますか?
僕としては結構興味があるし、むしろ興味が全くないという人はいないですよね。自分が住んでいる「街」、いろいろな意味がある。建物、公園、コミュニティ、インフラ。僕の知り合いにも、それぞれに本当に熱心に取り組まれている方がいる。建築会社に勤める方、地域のコミュニティ活動を活発に行っている方、みずからがその街を作っている姿は本当にかっこいい。

では一市民として、僕はその街づくりにどう関わっているだろうか。どう、興味を持っているだろうか。

社会の現状を見るに、日本の多くの街においては作る前と作った後の住人の反応が頻繁にメディアに取り上げられていると思う。子供の声がうるさいから保育園は作るなとか、この建物は景観を害するとか。あまりいい例が思いつかなくてすみません。でも、その場所が実際に作られている期間、その場所に興味を持っている人はどれくらいいるでしょう。もっと具体的に言うならば、その工事現場に興味を示す人はどれくらいいるでしょうか。

 

僕がいまパリという街に生活していて感じるのは、街がつくられていくその「過程」に多くの人が興味を持っていることなんです。そうです、その工事現場に、です。

年度末だからということはきっと関係なく、3月にパリに引っ越してきてから、街のいたるところで工事をしている様子を目にします。出かけるときにいつも通りかかる公園もその工事現場の一つなのですが、何度か通るうちに気づきました。

いつも、その工事現場を見ている人がいる。

じっと見てる。

たまたま通りかかった人とか、待ち合わせをしている人とか、子連れの家族とか、

工事現場を見ている。子供を抱っこしてまで見せている。

そのためか、工事現場には金網部分が数メートルおきに設けられていて、現場をのぞけるようになっているんです。あまりに皆が見ているものだから、なにか面白いことがあるのかと思って僕も見てみましたよ。

ただの工事現場なんですよ。

でもですね、考えてみたら工事現場ってまさに自分たちの街がつくられている現場そのものなわけですよね。そこに興味を示すことは、当然といえば当然なのかもしれないなと感じます。自分の散歩コースになる公園、家族と遊びに来る公園、彼女と待ち合わせをする公園が、どうやって作られていくのかを見守ること。それは市民としての責任と権利なんですよね。

なんのことはない、彼らは自分たちの街がつくられていく様子を見守っているんですね。と解釈しました。

そういった意識が、このパリという街を守り続けて、そしてつくってきたんだな。

そんなことを、今日も工事現場(を見る人)を見ながら考えています。