どれだけ自分のコンディションが良くても前へ進めないこともある。
先週末の剱岳。
山頂まであと300mほどにまでその距離を詰めつつも、
撤退を決めた。
やむなくして撤退を決めた理由は山頂付近の天候不良(雪と強風)だけれど、
「登りたい」という気持ちを強く持った現場で、その判断をするのは簡単なことではなかった。
「登りたい」という気持ちを強く持った現場で、その判断をするのは簡単なことではなかった。
実際のところ、
今シーズンのいくつかの登山を通して
自身の体調・体力は剱岳に挑むに足る準備はできていたと思う。
それでも、
一筋縄ではいかない剱岳の厳しさと、
それでこその山の魅力を再認識した2日間だった。
登りたい。
危ないんじゃないか。
登れるんじゃないか。
来年また来ればいいじゃないか。
もう少し登れば山頂じゃないか。
危ないんじゃないか。
登れるんじゃないか。
来年また来ればいいじゃないか。
もう少し登れば山頂じゃないか。
そんな気持ちのやりとりが黙々と続いた。
はやる気持ちと、自分を冷静に保とうという気持ちとが入り乱れる。
今振り返ってみればその時点ですでに冷静でいられなかったということなのかもしれない。
ゆえに、「登れないかもしれない」と、
一瞬でも自分に疑問を持ったあのときの撤退の判断は正しかった。
ちょっとしたミス・気の緩みが命にかかわる登山では常に判断に迫られる。
行く(進む)にしても行かない(戻る)にしても、あるいはその場にとどまるにしても、
気象状況や体調、ルート、同行者の様子など。
今回の「撤退」も、
それらの要素を鑑みたうえでの一つの判断だった。
「剱岳に登らなかった」という一時的な意味合いではなく、
今後も、願わくば長く続くであろう山との付き合いの中での、
「今ではない」という一つの局面だったのだと思っている。
来年、また登ろう。
※写真はアタック前日の快晴の剱岳