「国歌」が「古今和歌集」に載っているって知ってました?

 

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先週末、サントリーホールで行われた日本フィルハーモニーのコンサート、
メインの曲は「ダフニスとクロエ」(ラヴェル)、
もうその色彩感がたまらない。

でも、このコンサートで一番印象に残ったのは
アンコールとして演奏された曲でした。

 

アンコールとして演奏されたのは「ダッタン人の踊り」。

 

壮大なロシア音楽です。
ソチオリンピックの開会式でも紹介されていました。

 

この日の指揮はアレクサンドル・ラザレフ氏。
ロシアを代表する指揮者の一人です。

それまでのプログラムの演奏ももちろん素晴らしかったですよ。
でも、アンコールはもうなんだか圧倒的に違うわけですよ。
「血」がさわぐというか、
彼の魂の音楽なのです。

 

生まれ育った土地の音楽の「強さ」を感じた次第でした。

 

 

 

そして、我が身を振り返ってみたのです。
自分の祖国の「響き」ってなんだろうと。

日本の音楽、
たくさんありますよ。
お囃子の音楽だとか、和太鼓のリズム。
琴や三味線。

うーん、なかなか自分にとっての「コレ」というものを決めかねます。

そこでやっぱり書いてみるわけです。
日本の言葉のリズムというか、その雰囲気を。

いろいろ書いているうちに、
導き出した一つの答えは「君が代」の歌でした。

「国歌」として有名というか、
もう誰もが知っているこの歌。
実は平安時代の「古今和歌集」に載っているって、知ってました?

 

題しらず 読み人知らず

 

「わが君は千代にやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(古今和歌集 巻七 賀歌)

 

 

 

まず、賀歌とは「長寿を祝う歌」のことであり、
この歌が「わが君」の長寿を祝う歌として詠まれたことが分かります。

普通に考えれば、「わが君」とは天皇を意味すると考えられます。

だとすると、なぜこの歌が「題しらず」かつ「読み人知らず」なのでしょう。
2つの説が考えられます。

①編纂者が本当に「題」「読み人」を知らなかった。
②「読み人」を知ってはいたが何らかの理由により表記を避けた。

 

 

 

これほどはっきりとしたテーマの歌であるのに、
それを読んだ「人」「場所」「時」が明確でないことは極めて不自然です。
したがって、②のように何らかの理由により編纂者がそれらの明記を避けた可能性は高い、と。

 

 

 

まず「千代(ちよ)」という言葉。
「千代」は福岡県博多の地名です。
「千代にやちよに」の部分は
「千代に、八千代に」という「やちよ」は「八千代」と解釈するのが一般的ですが、
一方で、「千代にや、千代に」と読めば、
「千代」という地が永遠に続くようにという意味になります。

 

 

 

そして、「さざれ石」という言葉は「細石(さざれいし)」を意味していると考えられます。
福岡県糸島市には細石神社が存在します。

さらに、同じく福岡県糸島市にある桜谷神社に祭られているのは
「苔牟須売神(コケムスメ)」。

また、時代背景を考察すると、
古墳時代から弥生時代にかけて、
九州地方に王朝が存在したということに、
様々な学説がその根拠を示しています。

 

 

 

ここでひとつの仮説が成り立ちます。

この歌は九州地方に存在した王朝の永久的な繁栄を祈ってうたわれた歌だったのではないだろうか、と。

そして、単一王朝(大和王朝)となった平安時代において、
天皇家とは別の王朝を祝う歌を勅撰和歌集に載せることをはばかった編纂者が、
「題しらず」「読み人知らず」として古今和歌集に加えたのではないか、と。

 

 

 

あるいはもっともっと単純に、純粋に、
(個人的にはこっちの説により壮大なロマンを感じるわけですが)
「わが君」を「君主」とは考えない解釈。
「わが君」がこの歌を読んだ者の「恋人」だとすれば、どうなるか。

千年という時を越えた愛情を、
荘厳な「巌」、そして静寂な「苔」という自然描写を巧みに遣って表現しているのです。

 

 

 

以上、いくつかの文献を参考とした、あくまでも個人的な見解です。

様々な解釈を可能にするこの歌ですが、
いずれにしても思うのは、「和歌」、「やまと言葉」って美しいなあということ。

現代において「国歌(君が代)」が先の大戦の思いを彷彿とさせるという議論もあるわけで、
もちろんその歴史的事実から目を背けることはできませんが、
純粋にこの歌の言葉の美しさ・歴史的神秘さに目を向けてもいいのではないかな、と。

 

 

 

千年も前の言葉を、今も歌い続けているのが、この日本という国です。