美しい書は、健康的な朝食から。

料理って不思議なもので、ブラームスを聴きながら作ったパスタはブラームスを聴きながら食べたいし、スタンゲッツ聴きながら作ったパスタはスタンゲッツを聴きながら食べたい。途中で音楽を変えると、注文した料理とは別のものが出てきたみたいな気分になる。いや完全に気分の問題なんですけどね。

ちなみにこの写真のパスタとサラダはビル・エヴァンスを聴きながら作って、ビル・エヴァンスを聴きながら食べた朝食です。

最近心がけているのは「習慣の質」を整える&向上させること。

書道で日課となる練習(臨書)の質を上げることはもちろん、食事やランニングなど生活全般の「習慣」です。最高の作品を常に表現したいとなると、偶然いい作品が書けた!とかではだめで、いい作品を書き上げるための準備を最大限にしなければいけない。準備、つまり習慣・練習の環境を整えて、少しでもそのレベルを高くすることなんだと思っています。

質の問題を考えるときに、必ず考えなければいけないのは「量」の話ですね。僕も以前のブログで「量」は大切ということを書きました。

「質」か「量」か、どちらが大切かを考えるときに思い出す「陶芸」の話。

 

練習をするうえで、しかしながら、ある一定以上の練習「量」は間違いなく必要なんだけど、それは身体的な動作トレーニングと、課題を把握するためのものだと思っています。練習は多ければいいというわけではなく、課題と目的がはっきりしていればこれ以上は時間が「もったいない」というラインが見えてくる。

やみくもに量だけ費やす練習では、伸びる部分は本当に少ない。時間や物の制約がある環境でめちゃくちゃ集中して練習してみるとわかる。10時間だらだら書き続けるよりも1時間集中して練習することを日課にした方が、明確に上達します。

というのも、パリは和紙が高価すぎる(日本の2~3倍の価格)もので、まさに断腸の思いで一枚の半紙を使うわけです。もったいないけど、でも練習しなきゃいけない。そう思うと自然と練習の密度が濃くなります。和紙が高すぎるパリの環境に感謝。

 

『いつだって自分が最高だと思う演奏を目指さなきゃ次なんてないかもしれないんだぞ。

最高の演奏をしてそしてまたそれを超えるものを目指す。

若いくせに小さいこと言うな。 守りに入ってどうする。守るものなんかないくせに』

シモンさん(by「のだめカンタービレ」)の言葉が大好きです。

 

そう、とにかく一つひとつの作品を最高のものにする。そのために一番身近なところでまずできることは、生活の質を保つこと/向上させること。それが表現のレベルを上げることに直結するように感じるから。めちゃくちゃな環境からとんでもないモノを生み出すアーティストもいるけど、少なくとも僕は、美しい環境から言葉を紡いでいきたいと思います。