17年前の、あの夏の記憶が、最近また鮮明に蘇ってきます。まだ高校生だった私が、瀬戸内海の穏やかな波音に誘われ、アートの島・直島で開催された哲学キャンプに参加した時のことです。その数日間は、私のその後の人生観に、静かでしかし深い影響を与えました。そして、そのキャンプで東京大学の哲学の先生、小林康夫先生から直接いただいた、ある言葉があります。
それは、私にとって今も特別な輝きを放つ、たった一言。
「生死を離れて、海 永遠。」

哲学キャンプの記憶と、言葉の再浮上
当時の私は、この言葉の持つ意味を完全に理解できていたわけではありませんでした。まだ幼く、世界の複雑さや人生の奥深さに触れ始めたばかりの私にとって、「生死を離れて」という概念は、あまりにも壮大で、難解に感じられたのを覚えています。先生は、使い込まれた大学ノートの裏表紙に、ペンでこの言葉をさらさらと書いてくださいました。そのノートは今も、私のアトリエの本棚にそっと置かれ、時折、あの夏の潮風の匂いを運んでくるようです。

しかし、不思議なことに、この言葉が最近になって私の心に浮かぶことが多くなりました。現代社会を生きる中で、私たちは常に多くの情報や価値観の波に揉まれています。社会の大きな変化、日々の小さな迷いや不安。資本主義社会の生きづらさの中で、自分自身の存在意義や進むべき道を見失いそうになる瞬間が、誰にでもあるのではないでしょうか。
そんな混沌とした状況の中、この「生死を離れて、海 永遠。」という言葉が、私の中で確かな羅針盤のように機能し始めたのです。それは、外側の評価や移ろいゆく現象に惑わされず、もっと根源的な「何か」に意識を向けることの大切さを教えてくれているようでした。
「海」と「永遠」への新たな眼差し
小林先生がこの言葉に込めた真意は計り知れませんが、今の私が感じているのは、**「海」が持つ普遍性と、「永遠」**という概念が示唆する、時間や空間を超えた本質です。私たちが生きて、そしていつか死を迎えるこのサイクルから一歩引いて、物事を大きな視点で見つめること。そうすることで、相対的な価値観に囚われず、自分自身の絶対的な光を見出すことができるのではないか。そんな思いが、私の内側から湧き上がってきました。
改めて筆をとり、今の私が感じる「海」と「永遠」、そしてこの言葉の持つ揺るぎない力を表現したのが、今回の作品です。伝統的な書の世界観を踏まえつつも、私の心に鮮烈に響いた「永遠」への想いを、光が差し込むような、あるいは新たな生命が生まれる瞬間の輝きのような筆線で表現しました。

あの直島の夏から17年。一人の人間として、そして表現者として、この言葉と再会できたことを心から嬉しく思います。
この作品が、日々の喧騒の中で立ち止まり、あなた自身の「永遠」について、そして真に自由な生き方について考える、静かなきっかけとなれば幸いです。
小杉 卓