書と音楽が出会う場所で

先日の公演「BOLERO 〜書×ヴァイオリン×ピアノ〜」が無事に終演しました。

舞台に立ちながらも、どこか夢の中にいるような、不思議な時間でした。

筆を運び、墨を紙に落とす。
その動きが音楽と重なり、ひとつの風景をつくり上げていく。

いま振り返っても、あのとき舞台に漂っていた空気を、うまく言葉にするのは難しいのです。

書は一般的には「静止した作品」として鑑賞されます。

けれど、筆を走らせる行為には確かな「時間」があります。速度や間、呼吸やためらい。それらが積み重なって線になり、やがて言葉となる。その意味で、書は時間をまとった表現です。

そして、時間を生きる表現であるならば、音楽と出会い、響き合うことは必然でもある。

今回の公演は、その必然を舞台上で立ち上げる試みでもありました。

今回、作曲家の石垣さん・ヴァイオリニストの佐藤さんとチャレンジしたのは「既存の楽曲を演奏する」のではなく、「書と一緒にあることを前提とした音楽をつくる」ことでした。

書の運動、墨のにじみや音、和紙が擦れる感触。
そうした要素を音楽の一部に取り込み、共にひとつの作品を形づくる。そのため、書と音楽の関わり方もさまざまに変化しました。

たとえば、音楽の後半から書が始まり、最後は書だけが残るパターン。
観客の意識が耳から目へと移っていく過程そのものを演出に組み込んだ作品。

あるいは、大判の和紙に向かって全身で書く姿を、ピアノの音とともに響かせる作品。
和紙の擦れる音、筆が弾む音まで音楽に含めた試みもありました。

さらに、書作品を立ち上げ、運び、拭い、壁に立てかける。
その動作そのものを「パフォーマンス」として捉え、そこに寄り添う音楽を石垣さんが作り出してくださった。これが3つのインターリュード「BOLERO collage」です。観客にとっては、ムソルグスキーの《展覧会の絵》のプロムナードのように、作品と作品をつなぐ時間として響いたのではないかと思います。

そして、公演の最後を飾ったのはラヴェルの《ボレロ》。
今回のプログラムで唯一の編曲作品です。

今年がラヴェル生誕150年であること、そして石垣さん自身がラヴェルに導かれて作曲家を志したこと。その両方の理由から、この曲は外せないものでした。

私自身にとっても、《ボレロ》は書の身体性と深く響き合う作品でした。繰り返されるリズムに合わせ、筆の動きが少しずつ熱を帯び、最後には舞台全体がひとつの渦を巻くように広がっていく。その光景は、演じながらも圧倒的でした。

今回の公演全体は、観客の方々にとって、ただ音を聴くのでも、ただ書を見るのでもなく、その交わりの中で立ち上がる「舞台表現」として体験していただきました。

舞台上の書は、完成品としての「静の書」と、筆が走る瞬間そのものを見せる「動の書」を行き来しながら、音楽と絡み合っていました。

その姿を、客席からどのように受け取っていただけたのか──それは観客一人ひとりの中で結ばれるものだと思います。

終演後、多くの方から「書と音楽が本当に自然に重なっていた」「音を聴く目が開かれた気がする」という声をいただきました。

書と音楽がそれぞれを引き立てるのではなく、互いの余白を照らし合う。そんな時間を共有できたことを、心からうれしく思います。

ここからまた、書と音楽の交差点を探っていきたいと思います。

公開された《ボレロ》の映像をぜひご覧いただければ幸いです。

小杉 卓

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