
「ことばのまえの かぜをきいている このせかいはまだ なをもたない」
こどもの日に書いた作品です。
ことばを話し始める直前の子どもというのは、まるでまだ「世界」と「名前」とがきちんと結びついていない、揺らぎの中に生きている存在のように感じます。生物的といえば、その方が自然な在り方のような気もするけれど、僕たちの世界をつくっていく担い手の一人として、言葉を「まだ」もたない、あるいはいくらでも自由な言葉をこれから習得できる存在として彼を見守りたいと思う。
鳥の声や風の音、光の揺らぎに、意味や名前がついていなくても、それらのすべてを、まるごと身体で受け止めている。そのまなざしを、ささやかにでも残しておきたいとも思う。

この作品に使った墨も、ちょっとだけ特別なものです。
去年、版画作家の先輩が奈良を旅した際、息子の初節句を祝って、兜のかたちをした墨を贈ってくれました。とても美しい墨で、その質感と形に見惚れて、昨年は磨ることはせずにそのまま飾っていました。
でも、今年はいよいよ「書いてみよう」と思いました。こどもの日の5月5日に、静かにその墨を手に取り、硯にあててみました。墨の香りがふわりと立ち上がり、贈ってくれた人の手のぬくもりや、その旅の風景までもが、ゆっくりと広がっていくような気がしました。
ゆっくりと墨を磨りながら、ああ、言葉ってこういうふうにして生まれるのかもしれないな、と思いました。すぐに発せられるのではなく、沈黙のなかで、時をかけて、すこしずつ輪郭を得てゆく。

「ことばのまえの かぜをきいている」
そんな時間を、1歳になった息子はいま生きているのだと思います。そしてそれは、いずれすべてに名前が与えられていく前の、ひときわ豊かで澄んだ時間なのかもしれません。
墨の黒は、まだ言葉にならないものを受け止める色です。この作品に込めたのは、そんな色の豊さと、これから始まる小さな冒険への、ささやかな祈りかもしれません。
小杉 卓