KOSUGI TAKU

Japanese Calligrapher

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  • 呼吸する静寂、または四海の祈り
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  • 言葉の「厚み」に触れて。
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  • 草書や行書が、楷書よりも「上手い」と感じる理由を考える。
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  • 曙は、訪れる。夜の闇を裂き、新しい光が生まれるように。
  • 聲は完成されたか、沈黙してしまったか。
  • 眼をひらけ。ときを染めろ。
  • 粟野小学校創立150周年記念式典にて
  • なるほど「春になる」ではなく。
  • 夜音の中の空

taku_kosugi

新しい作品をつくるとき、
まずは机に座って静かにノートをひらく。

筆や硯が置かれた机ではあるけれど、すぐに筆を握るわけではない。

それは例えば、コーヒーを飲むときに、コーヒーを淹れてすぐさまコップを口に運ぶのではなく、その湯気の上がるのを静かにみている時間のように、自分の中に訪れつつある何かを、そっと待つようなものかもしれません。

言葉は、現時点という瞬間的な断面で考えればそれは機能的には記号でしかないかもしれませんが、背景に目を向ければ、それは単なる記号ではありません。

それは、人間が生きてきた時間の堆積です。

そんな文章を書きました。

「境界をなぞるように」
https://ukyo-kosugi.jp/blog/4365/

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #studio #kamakura #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #音楽のある暮らし #初夏 #アトリエ
週末は、所属しているオーケストラの練習があった。

練習が始まったのは雨上がりの初夏の夕方。6時を少し回った頃。都内の会場に向かう道の途中の道路の脇には、雨の雫をたっぷり吸い込んだツツジがまだいくらか咲いていて、その向こうにはやや霞んだ青空がある。これから練習する曲の雰囲気が合うような気がしなくもない。

冷たい空気で満たされながら、それでいて遠くの方で確かな炎のようなものが燃えている、そんな音楽。

シベリウスの交響曲第2番。
7月のコンサートに向けて、少しずつ練習を重ねている。

オーケストラの中では、必ずしもずっと楽器に口を当てて演奏している時間だけではなく、弦楽器や他の管楽器の響きを聴いている時間も多い。

だけど、この“待つ”という行為が、案外悪くない。むしろ、それが僕にはちょうどいいくらいだと思っている。いろいろと想いを巡らせるのに、ちょうどいい時間かもしれない。

【違うはずなのに、似ている】
音楽と書道というのは、一般的にはほとんど結びつかないもののように思われています。「音楽と書道って、なんだか不思議と似ている気がするんだよね」と言うと、多くの人が少しだけ首をかしげます。

「へえ、そうなんですか」と、言外に“でも全然違うものじゃない?”という響きを残しながら。

まあ、確かに違います。
音楽は聴くもので、書道は観るもの。

ピアノの鍵盤を叩いても墨は飛び出さないし、筆を持っていても音符は出てきません。でも、僕の中ではこの2つは、ずっと前から同じ風景の中に並んで存在していたように思うんです。

ショパンを弾く指先と、古典を臨書する筆先の間には、たしかに共通の空気が流れている。どちらもただ「正しく」なぞるだけでは何かが足りない。

そこには、もう少し微妙で、内側から滲み出るようなものが必要なんです。

そんなふうに、音楽と書道について考えていることを文章にしてみました。

「音楽と書道、静かな対話」
https://ukyo-kosugi.jp/blog/4361/

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #studio #kamakura #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #音楽のある暮らし #初夏 #アトリエ
「ことばのまえの かぜをきいている このせかいはまだ なをもたない」

こどもの日に書いた作品です。

ことばを話し始める直前の子どもというのは、まるでまだ「世界」と「名前」とがきちんと結びついていない、揺らぎの中に生きている存在のように感じます。生物的といえば、その方が自然な在り方のような気もするけれど、僕たちの世界をつくっていく担い手の一人として、言葉を「まだ」もたない、あるいはいくらでも自由な言葉をこれから習得できる存在として彼を見守りたいと思う。

鳥の声や風の音、光の揺らぎに、意味や名前がついていなくても、それらのすべてを、まるごと身体で受け止めている。そのまなざしを、ささやかにでも残しておきたいとも思う。

この作品に使った墨も、ちょっとだけ特別なものです。

去年、版画作家の先輩が奈良を旅した際、息子の初節句を祝って、兜のかたちをした墨を贈ってくれました。とても美しい墨で、その質感と形に見惚れて、昨年は磨ることはせずにそのまま飾っていました。

でも、今年はいよいよ「書いてみよう」と思いました。こどもの日の5月5日に、静かにその墨を手に取り、硯にあててみました。墨の香りがふわりと立ち上がり、贈ってくれた人の手のぬくもりや、その旅の風景までもが、ゆっくりと広がっていくような気がしました。

ゆっくりと墨を磨りながら、ああ、言葉ってこういうふうにして生まれるのかもしれないな、と思いました。すぐに発せられるのではなく、沈黙のなかで、時をかけて、すこしずつ輪郭を得てゆく。

「ことばのまえの かぜをきいている」

そんな時間を、1歳になった息子はいま生きているのだと思います。そしてそれは、いずれすべてに名前が与えられていく前の、ひときわ豊かで澄んだ時間なのかもしれません。

墨の黒は、まだ言葉にならないものを受け止める色です。この作品に込めたのは、そんな色の豊さと、これから始まる小さな冒険への、ささやかな祈りかもしれません。

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《雨順風調四海寧》
——動きながら、静けさに満ちている

五月のはじまり。
夏がゆっくりと足を踏み入れてきた。
空の色が少しずつ軽くなり、風が肌に当たる感覚にも、春とは違う粒立ちが混じっている。光はもう、完全に夏の角度から射している。

雨が降る。
風が吹く。

けれど、それらはもう「春の雨風」ではない。確かに強さはあるのだけれど、どこかしら包み込むようなあたたかさを持っている。傘をすり抜けて頬に触れる雨粒に、なぜか少しだけ安心する。
季節はちゃんと進んでいるのだ、と、そう思う。

道ばたでは、草木がせわしなく伸びている。
新芽はぐんと背を伸ばし、あっという間に葉を広げる。僕たちの視線は、つい足元の変化に引き寄せられる。でも、ときどき顔を上げると、山の稜線が日に日に濃くなっていることに気づく。海もまた、季節を映すように、少しずつその色を変えている。

小さなものが変わっていくのと同じように、大きなものもまた、静かに動いている。
そして、それこそが「平穏」なのだと僕は思う。

《雨順風調四海寧》という言葉には、そうした自然のリズムがぎゅっと詰まっている。
雨は程よく降り、風は調和して吹き、四方の海は穏やかで、世界は安らいでいる——そんな状態は、けっして「静止」ではない。むしろ、すべてが健やかに、自然の理に従って「動いている」ことにほかならない。

今回の作品では、少し古典的な書風を選んだ。
自由な余白を楽しむのではなく、きちんとした線で、落ち着きのある構成で仕上げたいと思った。読めなくてもいい、というよりは、読めることそのものが「整い」の象徴になるように、一文字一文字をていねいに運んだ。

こういう気分になるのは、季節のせいかもしれない。
はじまりの熱に満ちた夏の入り口で、なぜだか人は、無意識に確かなものを欲する。
それがかたちを持った言葉であればなおのこと、静けさを内側から感じさせるような文字であれば、もっといい。

静かなものが好きだ。けれど、ほんとうの静けさというのは、微細な変化に満ちている。動いているからこそ、僕たちはそれに身をゆだねることができる。

《雨順風調四海寧》。
この四文字が、初夏の入り口に、少しでも呼吸の深まる感覚をもたらしてくれたなら、書き手としてそれに勝る喜びはない。

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《僕らはしっている空の飛びかたも》

——想像の翼についてのノート

「僕らはしっている空の飛びかたも」——そんな言葉がふと頭に浮かんだのは、風の強い午後だった。作業場の椅子に腰を下ろして、ただ雲を眺めているときに。理由なんてなかった。そういう言葉は、だいたい理由もなくやってくる。ドアをノックするでもなく、そっと部屋の隅に座って、こちらを見ている。

この言葉の「僕ら」は、もちろん僕ひとりのことじゃない。誰かと一緒に見た風景や、交わした言葉や、笑った夜や、名前すら知らない誰かの中に眠る、柔らかな可能性のことを思っている。「僕ら」はとてもひとりではできないことを、きっと、いっしょに成し遂げていくための言葉なんだと思う。

「空を飛ぶ」なんてことは、現実には無茶な話だ。だけど、僕らはそれをイメージすることができる。鳥のように、あるいは夢の中の自分のように、ふわりと地面を離れて、音のない空気のなかを移動する姿を思い描くことができる。

それは現実ではないかもしれないけれど、でも、想像は現実のずっと先を行く。人間が想像できるということは、その想像に向かって歩き出す力があるということだ。そうやって、火を使い、船を作り、星に名前をつけ、飛行機をつくり、月に足跡を残した。全部、最初は誰かの「想像」から始まっている。

だからこの言葉には、小さな確信が込められている。
想像できることは、必ずどこかで実現できる。あるいは、少なくとも、それに向かって歩いていける。たとえ時間がかかっても、道に迷っても、想像という翼を持っている限り、僕らは前に進める。空を飛ぶような気持ちで。

今回の作品では、あえて柔らかく、まるで風にゆれるようなリズムで筆を運んだ。
「しっている」とひらがなにしたのも、確信というよりも、優しい記憶のような響きを残したかったからだ。

この言葉を目にした人が、それぞれの空を思い描いてくれたらうれしい。
自分の中にある「飛びかた」を、そっと思い描いてくれたら、いちばん幸せなことかもしれない。

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四月の下旬になると季節はふと足を緩める、ような気がしている。

まるで何かを惜しむように、時間の歩みが少しだけゆっくりになる。

作品は、
「春の余韻に
ほうきをにぎる
手をとめて
深呼吸する
また来年と」。

今朝ふと感じたことを書き留めました。
https://ukyo-kosugi.jp/blog/4235/

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #cherryblossoms #sakura #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #春 #桜 #さくら
遠い街のあかりに滲む桜花 #japanesecal 遠い街のあかりに滲む桜花

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #cherryblossoms #sakura #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #春 #桜 #さくら
工場内を案内してくださった方の、服を「大事にしてほしい」という言葉が印象的だった。

言葉自体はシンプルだが、この言葉には確かな厚みがあった。

服というものが作られる過程には、時間と技術、そして職人の手間が惜しみなくかけられている。

「言葉の『厚み』に触れて。」
https://ukyo-kosugi.jp/blog/4216

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #春 #kamakura #鎌倉
鎌倉の自宅の庭にある桜が、今週、いよいよ開花した。

ある朝、ふと外を見ると、枝先にぽつりぽつりと淡い色の花が咲いていた。

特に誰に知らせるでもなく、静かに、当たり前のようにそこに咲いている。こういう桜の咲き方が、好きだ。

それにしても、春になると、日本のあちこちで桜のライトアップが行われる。公園や川沿いの桜並木が、青白い光やピンク色の照明で華やかに演出され、多くの人がそれを見に集まる。

光に照らされた桜は確かに美しい。空に溶けるような花びらが、夜の闇を背景にくっきりと浮かび上がる様子は、ある意味では幻想的だと言ってもいいかもしれない。

それでも、桜にそんなに光を当てなくてもいいんじゃないか、と思ってしまう。

夜の桜は、それだけで十分に美しい。暗闇の中、目を凝らさなければ見えないくらいのかすかな輪郭を持って、月の光を受け止める。風が吹けば揺れる。

そうやって静かにそこにあるものを、わざわざ人工の光で強調しなくてもいい。むしろ、そのほうが桜本来の姿に近いのではないか。

続きはぜひブログにて↓
「月の光だけでいい」
https://ukyo-kosugi.jp/blog/4209/

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #cherryblossoms #sakura #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #春 #桜 #さくら
ある夜、僕は居酒屋で一人の男性と話をする機会があった。

僕よりも4歳年上の彼はビジネスの世界で活躍する人物で、効率的な仕事の進め方や合理的な判断を重視するタイプだった。

しかし、そんな彼がふと懐かしそうに語り始めたのは、子供の頃に習っていた書道の話だった。

「ニラと龍」
http://ukyo-kosugi.jp/blog/4189/

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #春
毎年この日は胸の奥がざわつく。 過 毎年この日は胸の奥がざわつく。

過去と現在が入り混じり、何かが喉の奥に詰まるような感覚。

誰に向けるでもない黙祷の気持ちを、僕は書こうと思う。

「曙は、訪れる。夜の闇を裂き、新しい光が生まれるように。」
http://ukyo-kosugi.jp/blog/4170/

観念の精神的な蜘蛛の巣を
俺は引き裂き、官能のわが
森のさなかに絶えず分け入り
わが歌の神託を俺は探り續ける。
存在よ……宇宙を捕へる耳よ。
靈魂のすべてはここに欲望の
窮極の姿とまさに相等しい。
靈魂は戰いている自己を聴いている。
そして時おり俺の脣は
靈魂の戰慄を捉へるように思われる
(ポール・ヴァレリー「曙」より)

#311 #祈り #prayfortohoku #valery #japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #ヴァレリー #曙 #春
「眼をひらけ。ときを染めろ」 様々 「眼をひらけ。ときを染めろ」

様々な花の開花は慶ばしい。
ときのすすむあかしだ。
その尺度はしかし自分の感覚とは必ずしも一致しない。
自分の中に秤があればそれでいい。
眼をひらけ。ときを染めろ。

冬から春に、少しずつ空気が変わってきたのを感じます。玄関のドアを開けた瞬間のひんやりとした匂いがわずかに柔らかくなり、どこか湿り気を帯びている。日が高くなって、影の輪郭はほんの少し淡くなったように感じる。

ふと、階段を降りる足取りが軽くなる。そんな小さな変化に気づいたとき、人は「春が来た」と感じるのかもしれません。

「春のはじまり」はしかし、当然だけど人によって全然違う。

たとえば岩手県に住む知人は、この時期に降る湿った雪に春を感じると言っていた。乾いた粉雪ではなく、わずかに水分を含んだ重たい雪。手のひらに乗せるとじんわりと溶けて、指先をひやりと濡らす。こうした雪が降ると、もうすぐ冬が終わるのだと彼は思うのだそうです。

一方で、多くの人にとって春の象徴といえば桜、と言ったらあまりにも陳腐でしょうか。

連日テレビのニュースでは開花の様子が報じられ、SNSは桜の写真であふれる。桜が咲けば、誰がなんと言おうと春の訪れを疑う余地はない。でも、それが本当に「春の始まり」なのでしょうか。

しかし僕は思う。春の訪れはもっと、とても個人的なものではないか、と。

自分にとっての春の合図は何か。庭先に顔を出した蕗のとうかもしれないし、朝の布団から出るのが少しだけ楽になった瞬間かもしれない。あるいは、あまり好ましくはない花粉を感じる瞬間かもしれない。

誰かが決めた「春」ではなく、自分自身の眼で見て、感じたものを自分の尺度にする。

季節はどんどん流れていく。それをどのように認識し、どんな色を与えるかは、自分自身の感覚に委ねられています。

春は桜色で表現されることが多い。それは本当か。春が芽吹きの季節ならば、緑とも言えるし、雪解け水の透明感を思えば淡い青かもしれない。

私たちはただ流れる時間の中にいるのではなく、その流れの中のある瞬間を自らの解釈でとらえて「ときを染める」ことができるのだと思う。

#japanesecalligraphy #calligraphy #art #spring #zen #書道 #書 #アート #アートのある暮らし #春
「聲は完成されたか、沈黙してしまったか
波は眞實を語り、樹は風を追いかける」

「言葉が氾濫している」とも感じられる昨今、感じていることを書の一節に書きました。

情報技術(特に最近は生成AI)によって、私たちはかつてないほど膨大な言葉に囲まれています。世界で生成される言葉の数は、生成AIも含めると、1日に100兆語ともいわれています。膨大な情報が飛び交う世界において、はたして私たちの「聲」は本来の役割をはたしているといえるのだろうかと自問します。あるいは、大量の言葉に埋没し、沈黙してしまってはいないだろうか。

「聲は完成したか、沈黙してしまったか」という一節で問いたいのは、情報技術の一つの達成によって、私たちの言葉は本当に「完成」したのか、または完成に近づいているのかということ。

私たちは効率化を求める社会のなかで、急速に生み出される言葉を消費し続けています。さらには、消費されることすらなく過去に積み上げられていく言葉もあるでしょう。その中に、人を豊かにする言葉はどれほどあるでしょうか。

人が一生のうちに読める文字数は1億文字程度にすぎません。限られた範囲・能力の中でどのように言葉を選び、向き合うべきかが問われていると思います。大量の言葉が生み出されることで、言葉そのものがノイズになっているかもしれません。

「波は眞實を語り、樹は風を追いかける」という後半の一節では、自然界に目を向けました。

情報が爆発的に増加する現代においても、自然は変わらずそこにあり、私たちの思考と対話する場を提供してくれます。波が語る「眞實」は、人間のつくり出した言葉のように膨大で不確かなものではなく、シンプルでありながら揺るぎない真理を持つ。そして、波を見つめることは、同時に自らを見つめることでもあるのではないでしょうか。そして無邪気にも、木々は風を追うように揺れる。

情報の洪水の中で、私たちはどのように言葉に向き合うべきか。膨大な情報に圧倒されながらも、立ち止まることを恐れず、自然に耳を傾け、自らの言葉を紡ぐことから逃げてはいけないな、と感じます。

それではどうするのかといわれれば、自分の目で文字を読み、人の言葉に耳を傾け、考え、なんとか自分の言葉を捻り出すしかないよなあと思う今日この頃です。

#書 #書道 #アート #言葉 #書のある暮らし #鎌倉 #japanesecalligraphy #art #words #kamakura
SORACHI1984のイベントで書かせてもらっ SORACHI1984のイベントで書かせてもらった「繋 〜海を越え空の先に〜」がソラチの缶に。

もしかするとソラチの公式認定店、ソラチベースで見られるかもしれません。

※中身の入っていない非売品のダミー缶です。

#sorachi1984 #beer #calligraphy #japapnesecalligraphy #art #ソラチ1984 #ソラチエース #クラフトビール #書道
「きみならで誰にか見せん梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る」

古今和歌集 
巻第一 春歌上 38
梅の花を折りて人におくりける
とものり

#立春 #春 #古今和歌集 #和歌 #季節 #言葉 #書道 #書のある暮らし #2月 #如月 #カリグラフィー #鎌倉 #spring #season #words #calligraphy #artwork #japanese #february #tokyo #japan
書とピアノの為の曲を初演。 作曲家 書とピアノの為の曲を初演。

作曲家・ピアニストの石垣絢子さんに作曲を委嘱した『「  」〜書とピアノの為の〜』は、単なるピアノ曲としてではなく、書と同時に演奏することを前提とした曲。年始の公演で初演いたしました。

今回の「音と言葉の間」公演のプログラムでは「光風動春」の言葉と合わせて披露しました。4文字それぞれのテキストが持つイメージを、曲の1−4部の構成に合わせて抽象的な筆線で表現し、5部の後奏として可読性のあるテキストを書きました。

書の”時間性”を最大限に引き出していただいたこの曲を新年最初のパフォーマンスとして披露できたことに大きな喜びを感じるとともに、次にこの曲に取り組むときにどんな言葉を表現できるのか、今から楽しみです。

#音と言葉の間 #書 #ピアノ#新曲 #初演 #石垣絢子 #書道 #書道パフォーマンス #音楽 #パフォーマンス #アート #舞台 #calligraphy #japapnesecalligraphy #art #performance #takukosugi
新年の書初めはしましたか? 1月4 新年の書初めはしましたか?

1月4日・5日の二日間は「音と言葉の間」公演として、書初めワークショップ&新曲披露を、東京と栃木(小山)にて開催ました。お正月の時期にもかかわらずたくさんの方にいらしていただき感謝です。

ご来場いただいた方には全員に一文字ずつ「今年の抱負」を書いていただきました。上手な字を書くことだけではなく、何よりも体験していただきたかったのは「音と言葉の間」の作品作り、つまり音楽の演奏に身体をのせて筆を動かし、音楽と同じ時間の中で作品を生み出してもらうこと。

音楽は、新年ということで宮城道雄の「春の海」のピアノ演奏。最初は、音楽に合わせることに不安な表情をされていた方も、筆を取った瞬間に曲の中のさまざまな旋律やリズムをうまく捉えて、真剣な表情で書き上げていました。

いらしていただいた方の感想からは「没入した」という言葉を多く聞きました。昨今各地でイマーシブ〜が盛んですが、きらびやかな設備がなくても、真っ白の紙に向き合う一瞬で人はひとつの世界に入り込めるんだと実感しました。

この公演は書とピアノのための新曲の初演でもありました。その紹介はまた後日じっくりと。

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「風が立つ 生きねばならぬ 試みねば」
(ポール・ヴァレリー)

京都の企業が集まるイノベーションセンター、KOINにて書の話と、アウトセンス社との即興創作をさせていただきました。

折り工学をつきつめるアウトセンス社の髙橋さん、石松さんとは数ヶ月前から、それぞれのワークショップを事前にシェア・体験し、素材選びから準備を進めてきました。

制作した作品は3点。
・書で言葉を書いた紙に「折り」を加える作品
・折り加工した紙に「書」をしたためる作品
・その場でテーマが提示されて2者で創作する作品

トークも含めてあっという間の2時間は、体感としては本当に一瞬だったと言っても過言ではないです。作品であるとともに手触り感がしっかりあるプロトタイプが出来上がりました。

京都のたくさんの企業、アカデミック分野の方々に集まっていただき、これからの展開にもワクワクする一日でした。

何が生まれるかはまだわからないけれど、何かが生まれる兆しが、確かにあります。

#書道  #京都 #koin #outsense
来年1月に「音と言葉の間」新曲発表&ワークショップ公演を企画しています。

2025年の年明け、
1月4日(土) 東京・神楽坂
1月5日(日) 栃木・小山
にて、「音と言葉の間」の新曲発表とワークショップの公演を行います。

正月真っ只中の期間ですが、ぜひ初詣がてら、書き初めの気分でいらしていただけたら嬉しいです。東京公演の神楽坂の会場は赤城神社のすぐそばです。

今回は、作曲家・ピアニストの石垣絇子さんに作曲いただいた新曲の初演でもあります。既存の音楽と書を掛け合わせる演出には多く取り組んできましたが、今回発表するのは「書」があることを前提に作曲していただいた曲です。

石垣さんからの作曲者ノートの一部を紹介させてください。
『創作にあたり私は「不完全な音楽」を目指した。書と合わさって初めて成立する作品という意味において、である。そして小杉氏の希望でもあるように、筆捌き、体の動き、紙の擦れる音、墨が滲み変容する様など実演としての書と共鳴する音楽を模索した』

美しい音楽を生み出してくださった石垣さんに心から感謝するとともに、初めて演奏・書かせていただく時間を待ち遠しく思います。

メッセージなどでご連絡いただけましたら、チケットの取り置き・ご郵送、承ります!

後日、栃木は小山での公演についてもじっくり紹介いたします。

#音と言葉の間 #書 #書道 #書道パフォーマンス #音楽 #パフォーマンス #アート #舞台 #calligraphy #japapnesecalligraphy #art #performance #takukosugi
先日、山口は宇部にて、書の講演とパフォーマンスの機会をいただきました。

参加させていただいたのは挑戦結集都市宇部プロジェクト。宇部の歴史・土地を背景に、各地から挑戦者が集まる濃密な一日でした。

「Twitterも、書」と題してお話をさせていただくなかで、現代の生活様式の中で書がどのような時間をつくることができるか、自身の書の体験とともに、古代、中世、そして近現代の書の変遷を交えながら紹介させてもらうことができました。

自分にとってのこの日の大きなチャレンジとして、「この一日を書で表現する」ことをテーマに、全てのセッションを書で総括してパフォーマンスで表現させていただきました。

パフォーマンスではあらかじめ決めた言葉を書くことが通常ですが、この日は「この一日で出会う言葉から作品を生み出す」ことにチャレンジしました。
数時間にわたるセッションを咀嚼して一つの言葉に仕上げていく工程は、議事録やグラフィックレコーディングとはまったく異なるアプローチで時間を抽象化・具現化する試みでした。

すべてをもれなく記録するのではなく、本当に大切なことを目に焼き付けて心に刻み込む。そんな手法にしていきたいと感じました。

そして、講演で取り上げた内容も少しだけ取り上げさせてください。

思考・咀嚼を遥かに凌駕するスピードで生成される言葉は日々増大する一方で、認識・表現のための言葉は資本主義社会にのみ込まれる。この現状は『言葉の二極化』ではないか。言葉を正視する時間を失うことは、言葉によって成立する人間性をも失うことに等しいと言っても過言ではありません。

一つ数字を例として挙げるならば、
世界で一日に生成される言葉は100兆語といわれています。
一方で、人が一生をかけて読むことができる文字は約1億文字。
データの都合で「語・文字」の違いはありますが、人が「読む」ことで触れられる文字は、一日に世界に生み出される言葉の0.0001%にも満たないのです。そしてこの差は生成AI等の技術によって日々大きくなっています。

このあたり、是非いろいろな方とディスカッションしたいテーマがたくさんあります。

#宇部 #宇部スタートアップ #書 #書道 #書道パフォーマンス #音楽 #パフォーマンス #アート #舞台 #calligraphy #japapnesecalligraphy #art #performance #takukosugi
対話から生まれる新しい視点と疑問。

そしてやっぱり、
世界は美しい。

#autumn #nature #season #calligraphy #japapnesecalligraphy #design #art #japan #秋 #書 #書道 #アート #書法 #鎌倉 #日本
先週は岩手県大槌のお祭へ。
震災後のITボランティアでお世話になった臼澤鹿子踊のみなさんと2日間ご一緒させてもらいました。大雨の中でしたが、神輿と鹿子踊のエネルギーに圧倒され、雨が降っていることをときどき忘れるほどでした。

ああ、かみさまはこうした暮らしに宿るのだなと思うと同時に、人の踊り、笛太鼓、歌、そして雨風さえもが神様の「言葉」のようにも感じました。

そして今回は書道の道具持参で伺い、作品を書き上げることも大きな目的のひとつでした。震災直後に伝承館で書き上げた作品を舞台に掲げていただいていたのですが、実は和歌の上の句だけを書いた作品でした。今回、祭りの最後の輿入れ後に、二日間で吸収したエネルギーをありったけぶつけて、下の句も含めて全ての言葉を完成させることができました。

「大槌の森に宿し神の音 われこどもらと共に踊らん」

そして、あのとき書かせていただいた「臼澤鹿子踊」の書を、幟旗、太鼓旗、法被などたくさんの道具に使っていただいていて、臼澤の踊りが大槌の街を練り歩く様子には、胸が熱くなりました。
来年のお祭も楽しみです。

#書 #書道 #書道パフォーマンス #音楽 #パフォーマンス #アート #舞台 #和歌 #calligraphy #japapnesecalligraphy #art #performance #takukosugi #大槌 #臼澤鹿子踊
ザッポロビールのソラチエース 40周年・「SORACHI 1984」5周年のイベントで書かせていただきました。

◆言葉を決める
毎年この時期になると、SORACHI 1984をどんな言葉で表現しようかと模索しながらビールを飲む日々が始まります。今年は私たち企画メンバーだけて考えるのではなく、SORACHI 1984を実際に飲んでいる方々の想いを伺ってみたいということで、7月のソラチイベントから準備が始まりました。

7月のイベントでは「あなたにとってのSORACHI 1984を漢字一文字で表すと?」というテーマで、集まった方全員に筆を持ってもらい、SORACHI 1984を飲みながら作品を仕上げていただきました。イベントの前には、「似たような言葉が集まるかもしれない」と予想していたのですが、まったくそんなことはなく、十人十色の言葉が紡がれていく様子に驚きました。

イベントの中で、書き上げた作品の想いを全員に語っていただいたのですが、
SORACHI 1984を飲んだときの感覚。
飲んだときに思い浮かべる情景。
SORACHI 1984/自分のこれからの未来像。
などなど、みんなが同じビールを飲んでいながらも、一人ひとりが大切にしている様々なシーンが語られて、ワクワクするひとときでした。

そんな何十種類もの作品を目の前にして、
さてソラチのパフォーマンスではどんな言葉を書かせてもらおうか。この文字かもしれない、あの言葉かもしれない。いろいろな言葉を取り上げながらイメージを整理していきました。

◆今回のパフォーマンスで書かせてもらった言葉は、
「繋 〜海を越え 空の先へ〜」です。

日本で開発されながら、海を越えてアメリカで人気に火がつき、いま再びの日本で多くの人に飲まれているソラチエースというホップ。様々な人や会社を繋ぎ、どんどん新しく面白い企画が展開されています。ソラチエース ・SORACHI 1984は、そんな「繋がり」の原動力になっているのではないでしょうか。

◆「これが書の一つの貢献のかたちかもしれない」が見えた。
パフォーマンス当日は、下國シェフの料理や、ツージーことクラリネット・サックス奏者の辻本さんの素晴らしい演奏も披露されましたが、皆さんの言葉の中に「繋がり」がたくさん入っていました。

書は、ある一つの言葉をかたちにすることで、皆さんの想いの方向を導くことができるのかもしれません。全員に同じことを考えてもらうとか、正解を提供するのではなく、言葉(「繋」)を道標として掲げることで、まったく異なる背景を持った人々のこれまでの感覚や経験、表現が同じ方向に向かって深まり、広がっていく。そんな時間と空間を演出する一助になれたかもしれません。

7月のソラチイベントで数十人の方に筆を持っていただくことから始まって、配信を含めてたくさんの人が関わるイベントでのライブパフォーマンスで生まれた言葉は、単にその場、その時間に作品を書き上げる瞬間的な制作ではなく、時間とたくさんの人の思いを積み重ねた先に表現される、深く広い言葉になったと感じます。

書で、こうして人や組織をサポートしたい。そんな思いがようやくつながってきた。夏です。

#sorachi1984 #ソラチ #ソラチエース #サッポロビール 書 #書道 #書道パフォーマンス #音楽 #パフォーマンス #アート #舞台 #calligraphy #japapnesecalligraphy #art #performance #takukosugi
「空は なんで青いの」

光を散乱する微粒子が、波長の長い青い光をより強く……。
その原理はともかく、その色を、なぜ青いと思うのだろう。
青を、青と思う私のこれは知識か感覚か、それとも感情でしょうか。

"Why is the sky blue?"
Microparticles that scatter light make the long-wavelength blue light stronger...

Apart from the principle, why do we perceive the color as blue?

Is my perception of blue as blue a matter of knowledge, sensation, or emotion?

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