言葉のベクトル:文字の書き方について思うこと

1. 「上から下へ」というシステム

僕たちがペンを握り、あるいは筆を執り、白い紙に向かうとき、そこにはあらかじめ決められた「約束事」がある。

漢字というのは、基本的には左から右へ、そして上から下へと流れていくものだ。それはまるで、重力に従って高いところから低いところへと流れ落ちる川の水のように、自然で、疑いようのない効率性に満ちている。

日本語という言語を表記するにあたって、このシステムは驚くほど機能的だ。表意文字としての漢字は、その一画一画が意味の断片を運び、僕たちの思考を整理してくれる。僕たちはそのルールに従うことで、混乱を避け、正しく世界を記述しているつもりでいる。

でも、ふと思うことがある。その「上から下へ」という一方通行の重力は、果たして文字が誕生した瞬間の情熱をすべてすくい取れているのだろうか、と。


2. うごめく「象形」の意志

漢字のルーツを辿っていくと、そこには「象形文字」という、より野性的で具象的な世界が広がっている。 文字はかつて、単なる記号ではなかった。それは凍りついた言葉ではなく、目の前にある「ものそのもの」を写し取ろうとする切実な試みだったはずだ。

例えば、植物を表す文字について考えてみてほしい。 僕たちが「木」や「草」という字を書くとき、それはすでに洗練された記号にすぎない。しかし、その文字の奥底には、かつて誰かが目撃した「生命の躍動」が隠されている。

植物は土に根を張り、暗闇の中から光を求めて、天に向かって背を伸ばす。

それは紛れもなく、「下から上へ」というベクトルを持った運動だ。重力に逆らい、土を押し退け、垂直に上昇していくエネルギー。だとしたら、文字がまだ「絵」と「記号」の境界線上で揺れていた時代、それを書く指先は、下から上へと突き上げられていたのではないか。そんな風に想像するのは、決して非論理的なことではないと僕は思う。


3. 静かな革命

今回、僕がひとつの書を作り上げるにあたって試みたのは、いわば文字の原点への回帰だ。

ふだん僕たちが無意識に受け入れている「効率的な書き順」を一度クローゼットの奥にしまい込み、ものそのものが立ち上がっていくプロセスを追体験しようとした。芽が土を割り、空の青さを目指して伸びていく。その「上昇の感覚」を、筆の運びにそのまま重ねてみる。

「光」:大地から天へと向かう意志を宿した「象形」としての書。


4. 「ものそのもの」を書くということ

実際に「下から上へ」と筆を動かしてみると、そこには奇妙な手応えがあった。 いつもの滑らかな書き心地とは違う、少しの抵抗と、生命が成長するときに伴うはずの「軋み」のようなもの。

文字を書くという行為は、本来なら世界を再構築することと同義であるはずだ。 「美しい字を書く」とか「正しく伝える」といった実用的な目的の向こう側に、その対象が持っている根源的なエネルギーを、紙の上に定着させるという儀式的な側面がある。

僕が今回書き上げたのは、文字という名の記号ではなく、ひとつの「生命の軌跡」だ。 下から上へと伸びる線は、単なるインクの跡ではなく、かつて地上に現れた最初の植物が抱いていたであろう、天への憧憬をなぞったものだ。


5. 視点を変えること

僕たちは、あまりにも多くのことを「当たり前」として受け入れすぎているのかもしれない。 「文字は上から下へ書くものだ」という確信を少しだけ揺らしてみる。それだけで、見慣れたはずの漢字が、まるで深い森の中で出会った未知の生き物のように生々しく見えてくる。

もし、あなたが次に筆を執ることがあれば、一度だけ試してみてほしい。 その文字がもともと何であったのか。それがどこから来て、どこへ向かおうとしていたのか。 効率性を横に置いて、文字の「原点」に指先を浸してみる。そこにはきっと、古いレコードの溝から立ち上がってくる音楽のような、懐かしくも新しい発見があるはずだから。

小杉 卓

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