静寂、あるいは沈黙という言葉の意味の中に音は存在しませんが、しかしそれが語られるとき、その世界にはおそらく、聴こえない音があるんじゃないかと思います。 私たちの日常のすぐ隣に、まるで忘れ去られた古い記憶のようにそっと息を潜めて。
前職でご縁をいただいたクリスティーナさんと秋山さんが、新しい挑戦を始められました。

「Inner Japan」という名の、日本の深い輪郭をなぞるような会社です。
かつて同じ職場で、同じ目標に向かって机を並べていた頃から、お二人が見つめている視線の先には、いつも「本質的で、嘘のない美しさ」がありました。
そんなお二人から、新しい旅立ちに際して「書」を書いてほしいと声をかけていただき、僕は自分のアトリエで、心地よい緊張感を感じながら、夜を徹して書きました。文字通り、夜中ずっと。
お二人の言葉に含まれているはず、言葉以外の「言葉にならない何か」を、どうすれば墨という形あるものに変換できるだろうか。 静かな夜の中で、僕は長い間、お二人が見つめる「日本」について考えていました。
それは華やかな観光地の風景ではなく、もっと静かで、人々の生活の根っこにあるような、確かな手触りのある景色です。
お二人からお話をいただき、僕は書で表現できることのすべてを、白い紙の上に置いたつもりです。

結果として3つの作品が生まれ、それらはデザインとしてお二人のTシャツにもなりました。
自分の書いた文字が、誰かの体温を包む衣服になり、街の景色の一部として歩き出す。
それは、何にも代えがたい静かな喜びです。
Inner Japan ― 静けさの輪郭をなぞる

人々の「日常」が根付く土地に吹く風の音や、日々の暮らしの中にさりげなく息づく、名もなき美しさ。
Inner Japanは、いわゆる記号化された観光地ではない「日本」の剥き出しの輪郭をそっとなぞり、訪れる人の心に、消えない確かな感触を残す場所であると、僕は信じています。

会社の象徴である「波」と「松葉」。
そして「静けさと暮らしの中の美しさ」。
墨の余白に耳を澄ますように、じっくりと、急がずにご覧いただければ幸いです。
1、【作品1:波と松】

「かたちのないものの、かたち」
波は常にうつろい、二度と同じ姿を見せません。一方で松葉は、静かに地を這いながらも、風に逆らわず、それでいて凛とした意志を持ってそこに留まっています。
Inner Japanのロゴにも込められたこの二つの象徴を、線と余白だけで再構築しました。 揺らぎのある筆致と、意識的に抑制された構成。そこには自然が持つ「秩序なき秩序」のようなものを刻んでいます。
見えるようで見えない。
読めるようで読めない。
けれど確かに、そこには何かが存在している。
ちょうど、夜の暗闇に目が慣れてきたときにようやく見えてくる、淡い光のような気配の書です。
2、【作品2:「静けさと、暮らしの中の美しさ」】

右:作品「音のない詩」 / 左:作品「言葉のかたち」
この書には、二つの異なるアプローチを試みました。
ひとつは、言葉としてのニュアンスを辛うじて残しながらも、その字形に大きな揺らぎを与えることで、静けさを「言葉の向こう側」に感じさせること。
もうひとつは、言葉を一度バラバラに解体し、筆跡の重なりやカスレの全体で「静けさの気配」そのものをかたちづくることです。
読もうとすればするほど、意味という糸は指先からするりとほどけていきます。でも、ふと一歩引いて眺めてみたとき、それは一つの調和のとれた景色として立ち上がります。
これらは何かを声高に語るために書かれたのではなく、むしろ良質な沈黙を共有するために書かれた作品なのです。
3、【作品3:「Inner Japan」】

「感じられるかどうか」
この作品では、「Inner Japan」というアルファベットを、あえて一読しただけでは判別しにくいかたちで構成しました。
ローマ字を単に和の筆致でなぞるだけでは、本質には届かない気がしたからです。
文字そのものが墨の波紋のように溶け合い、深い井戸の底から浮かび上がってくるような、そんな意匠を目指しました。 大切なのは、「読むこと」よりも「感じること」ではないでしょうか。
情報の速度を落とし、ただその場所にある空気を感じ取る。この作品が持つ微かな緊張感と長い余韻が、Inner Japanの核心を静かに物語ってくれることを願っています。

二人の、新しい地図
クリスティーナさんと秋山さんが「Inner Japan」を通して提示しようとしているものは、単なる旅のガイドではありません。それは、私たちが忙しない日々の中で見失いかけている「時間の流れ」を取り戻すための、新しい地図のようなものだと僕は思います。
お二人と話していると、いつも背筋が伸びるような思いがします。それは、お二人が自分たちの信じる価値観に対して、どこまでも誠実で、丁寧な敬意を払っていることが伝わってくるからです。そんなお二人が描く未来の風景に、僕の書が少しでも彩りを添えることができたのなら、書家としてこれほど光栄なことはありません。
「Inner Japan」が、これから多くの人にとっての「静かな心の拠り所」になっていくことを、僕は確信しています。 お二人の新しい旅が、どこまでも豊かで、美しい光に満ちたものになりますように。
心からの敬意と、応援を込めて。
小杉 卓