夜明け前に目が覚めた。
机に向かい、筆を持った。
今日は3月11日。
まだ暗い空は静かで、どこかで梟の鳴く声がする。
この日が来るたびに胸の奥がざわつく。過去と現在が入り混じり、何かが喉の奥に詰まるような感覚。誰に向けるでもない黙祷の気持ちを、僕は書こうと思う。
選んだ言葉は、ポール・ヴァレリーの「曙」の一節。
「観念の精神的な蜘蛛の巣を
俺は引き裂き、官能のわが
森のさなかに絶えず分け入り
わが歌の神託を俺は探り續ける。」
ヴァレリーの詩は、内省と探求の詩だと思う。言葉は絡み合いながらも、そこには迷いを断ち切る意志がある。そして、この詩のタイトルは「曙」。夜が明け、光が生まれる瞬間を指す言葉だ。14年前のあの日、ほんとうにたくさんのものが失われた。けれど、そこから新たな時間が流れ、人々はそれぞれの歩みを続けてきた。闇を裂き、曙へと進むように。だから、今この詩を書にすることには意味があるように思える。
紙を目の前に広げながら、筆を走らせながら、僕は思う。それぞれの人が、それぞれの場所で、それぞれの大切な人を思っているのだろうと。どこかの街で、静かに手を合わせる人がいる。写真を眺める人がいる。言葉にできず、ただ空を見上げる人もいるかもしれない。そのどれもが、祈りの形だ。誰かを思い、記憶を手放さないこと。それ自体が、生きているということだと思う。
「存在よ……宇宙を捕へる耳よ。」
ヴァレリーの言葉は、広がっていく。存在とは、消えてしまうものではなく、世界のどこかに響き続けるものなのだと。この震えるような感覚を、言葉にすることは難しい。それでも、言葉を読み、刻むことで、それに近づける気がした。
書き終えて、深く息を吐いた。静かな時間が流れる。
筆を洗い、硯の墨を拭いながら、僕はもう一度、目を閉じる。
それは悲しみのためだけではない。生きることへの誓いのような、前へ進むための祈りのような、そんな気持ちを込めて。曙は、訪れる。夜の闇を裂き、新しい光が生まれるように。僕たちは、それぞれの場所で、それぞれの想いを抱えながら、また前へと歩いていく。
観念の精神的な蜘蛛の巣を
俺は引き裂き、官能のわが
森のさなかに絶えず分け入り
わが歌の神託を俺は探り續ける。
存在よ……宇宙を捕へる耳よ。
靈魂のすべてはここに欲望の
窮極の姿とまさに相等しい。
靈魂は戰いている自己を聴いている。
そして時おり俺の脣は
靈魂の戰慄を捉へるように思われる
(ポール・ヴァレリー「曙」より)
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