一枚一枚の積み重ねの中から絞り出される字にこそ、 力が宿る。

 

「九成宮醴泉銘」

朝、墨をすって書道をするのが大好きです。

書の練習風景。
普段紹介している作品とは違う「書」、臨書。…

臨書とは、いわゆる古典をお手本として書をすることです。唐時代を中心とした中国の書や平安時代前後の日本の書にそのかたちを求めることが多いです。臨書の大切さについてはまた後日、深く語りたいところですが、今回はこの「九成宮醴泉銘」について。

書体というと、「楷書、行書、草書」などを思い浮かべる方も多いかと思いますが、その他にも隷書や篆書といった書体があるほか、それぞれの書体においても筆遣いや書風には多くの種類があります。楷書だけをみても何種類もの有名な古典があり、それぞれが違った書風を漂わせています。

数ある楷書作品の中でも、「最高峰」と呼ばれることが多いこの「九成宮醴泉銘」。その線の鋭さ、字形の洗練具合は格別です。

ここ数週間はこの「九成宮醴泉銘」を学んでいます。

その静かな迫力に圧倒されながら、一画、一字、一枚が真剣勝負。思うような書にすることができず「どうして書けないんだ・・・」と、悔しさを味わいながらも、線を、字を追究しています。

書道をしている時間のうち、この「臨書」をしている時間がだいたい9割。技量がなきゃ、自分のイメージを書くことなんてできるわけない。

まだまだ拙い書ですが、
こうした一枚一枚の積み重ねの中から絞り出される字にこそ、
力が宿るということを実感する毎日です。