
先日、広島の企業さまからのご依頼で、「新規事業のブランド構築」をテーマにしたワークショップを実施しました。参加者は総勢26名。部署も年代もさまざまな方々が、まる一日をかけて言葉と向き合う時間を共にしました。
「新規事業」や「ブランド」と聞くと、どこか硬質で戦略的な印象を抱かれるかもしれません。ですが今回は、その設計プロセスに“書道”という一見意外な手法を取り入れました。筆と墨、10メートルの因州和紙、そして少しばかりの勇気を使って、参加者の皆さんはそれぞれの“ことば”を探し、表現し、つなげていく旅を歩みました。
五感で考える——身体から立ち上がる言葉

このワークショップで、書道を取り入れる目的を一言で表すと、それは「五感を使って言葉を生み出すため」です。
墨の香り(嗅覚)
筆と和紙の感触(触覚)
筆が走る軌跡(視覚)
和紙と筆の音、音楽や声、動画の音(聴覚)
こうした感覚刺激を場に織り込み、参加者が身体を媒介に思考を深められるよう、ファシリテーターの方と協議を重ね、数ヶ月かけてプログラムを練りました。
筆を握り、墨を含ませ、紙に線を走らせる。その一連の行為は、ふだんオフィスで使う脳とは別の領域を目覚めさせてくれるようです。
実際、終了後の感想のなかには「普段使わない脳を使ったような感覚があった」という声もありました。五感のゆらぎは、思考の“背中”をやさしく押してくれるのかもしれません。
言葉の掘削作業——自分たちを知り、問い直す

ワークショップは、言葉を掘り起こすところから始まりました。
最初のステップは、「自分たちを知ること」。ここでは、自分たちの組織が大切にしている価値や姿勢について、それぞれの視点から思い出したり、語り合ったりしていきます。誰もが言語化しきれていなかった感覚や経験が、ひとつずつ輪郭を帯びてきます。
次に取り組んだのは、「理想を実現するための阻害要因」を見つめ直すこと。ここではあえて社会のネガティブな側面にも目を向けることで、本当に越えるべきハードルがどこにあるのかをあぶり出していきます。
そのうえで、「実現したい未来・使命」を改めて言葉に落とし込み、そこからアイデアをブラッシュアップしていく——そんな流れで進行しました。
私たちは普段、言葉を「使う」ことには慣れていても、言葉そのものを「つくる」ことにはあまり慣れていません。このワークショップでは、まさにその「つくる」に真正面から向き合っていただく時間でした。
筆の沈黙が語るもの——書道による具体と抽象の模索

今回用意した道具は、筆と墨、和紙、そしてペンでした。筆で書く言葉は、どうしても文字数が限られてきます。余白を生かす表現である以上、冗長な言葉は入り込む余地がありません。そのため、自然と抽象度が高く、核心的な言葉が浮かび上がってきます。
一方、ペンは日常的に使い慣れた道具です。細かい説明や補足の言葉は、こちらで補っていただくよう設計しました。
こうした構成にすることで、筆とペン——非日常と日常、抽象と具体——の往復が自然に起こるのです。これは、単なる表現の違いというより、思考のレイヤーを切り替えるスイッチのようなものだと感じています。
筆で線を引くと、こちらが意図していない「にじみ」や「かすれ」が立ち現れます。それは、筆という道具が持つフィードバックの力です。まるで、感情や無意識が筆を通して紙の上に立ち上がってくるかのようです。
書は、単なる文字ではなく、具体と抽象を模索するようなメディアです。だからこそ、ブランドという“気配”のような存在を、言葉にするための手法として、書道はとても相性が良いのだと再確認しました。
10メートルの紙に生まれた物語

素材として使用したのは、因州和紙。長さは約10メートル。グループごとに和紙を用意しました。
10メートルと聞くと、十分すぎるほどの余裕があるように思えるかもしれません。でも、実際にワークショップが終わるころには、ほとんどのグループで紙が足りなくなるほど、たくさんの言葉が生まれていました。
最初はぽつりぽつりと始まった言葉の流れが、気づけば大河のように一気に広がり、勢いを持って流れ始めるのです。そして最後に、それぞれの和紙をひらいてみると、まるで一枚の巨大な物語が書かれた巻物のように見えました。
それは、どこかしら詩的で、どこかしら記録的で、そして何より、ここに集った26人が「共に書いた時間」の痕跡そのものでした。
「言葉をつくる」ということ

ワークショップの締めくくりには、4つのグループそれぞれから、その日一日かけて育ててきたブランド名やコンセプトのアイディアが、全体に向けてシェアされました。にじみやかすれとともに生まれた言葉の粒たちが、次第に文脈をまとい、未来のかたちを仄かに映しはじめていたのが印象的でした。
この中のどれかのアイディアが、やがて実際のブランドとして世の中に立ち上がっていくかもしれません。そして、そこから先──このアイディアをさらに磨き上げていくプロセスが、今度は社長や役員の皆さんを巻き込んで、もう一段階大きな山場として待ち受けています。
けれども、何よりも価値があるのは、「やらされている」仕事としてではなく、社員一人ひとりが自分の言葉で考え、自分ごととして課題に向き合い、アイディアを生み出していったという、そのプロセス自体です。どんな仕事も、自分の言葉を語らなければ、自分ごとにはなりません。だからこそ、筆をとり、言葉を編み出す時間に意味がありました。
手で書く、声で話す、身体で感じる。そうやってひとつずつ掘り出された言葉たちが、次のアクションの種になっていくことを、願ってやみません。

今回の試みで、私が一番大切にしたかったのは、「言葉をつくること」を、書道という手法を通してサポートすることでした。
そしてこのワークショップで書道を取り入れるにあたって、ひとつの問いがありました。それは、「書道でブランド構築なんてできるのか?」ということです。
書道のワークショップと聞くと、どうしても“作品づくり”のイメージが先行します。美しさや完成度を追求する、いわば「アート」の世界です。
けれど、今回私たちが目指したのは、「言葉をつくる」ための“手法”としての書道でした。情報と感情のあいだにある領域を探索するための方法として、書道を用いたのです。
完成された作品をつくるのではなく、ことばの生成プロセスを支える道具としての書。そこにはアートとデザインが交差する、不思議な中間地帯があります。
そして今回、その可能性が確かに開けた実感があります。
書道は、ビジネスの言葉を変えうるか

書道は芸術です。けれど、書道の中には、言葉の構造や感情の温度を、身体を通して発見するためのプロセスが含まれています。
それはきっと、ビジネスの場でも応用可能なものです。
今回のワークショップを通じて、私は「アート」や「デザイン」を、単なる装飾ではなく、思考の器として活用していく可能性をあらためて感じました。
そこにはまだまだ、探求すべき余地がありますし、もっともっと面白いことができるはずです。
「書道でブランドを考える」――。
最初は意外に思われるかもしれませんが、実際に体験してくださった参加者の皆さんにとって、それはむしろ“自然な手法のひとつ”になったように感じました。
これからも、こうした「場づくり」の可能性を信じて、書とビジネスのあいだをゆっくりと行き来しながら、活動を続けていきたいと思っています。
小杉 卓