呼吸する静寂、または四海の祈り

《雨順風調四海寧》——動きながら、静けさに満ちている

五月のはじまり。
夏がゆっくりと足を踏み入れてきた。
空の色が少しずつ軽くなり、風が肌に当たる感覚にも、春とは違う粒立ちが混じっている。光はもう、完全に夏の角度から射している。

雨が降る。風が吹く。けれど、それらはもう「春の雨風」ではない。確かに強さはあるのだけれど、どこかしら包み込むようなあたたかさを持っている。傘をすり抜けて頬に触れる雨粒に、なぜか少しだけ安心する。
季節はちゃんと進んでいるのだ、と、そう思う。

道ばたでは、草木がせわしなく伸びている。
新芽はぐんと背を伸ばし、あっという間に葉を広げる。僕たちの視線は、つい足元の変化に引き寄せられる。でも、ときどき顔を上げると、山の稜線が日に日に濃くなっていることに気づく。海もまた、季節を映すように、少しずつその色を変えている。

小さなものが変わっていくのと同じように、大きなものもまた、静かに動いている。
そして、それこそが「平穏」なのだと僕は思う。

《雨順風調四海寧》という言葉には、そうした自然のリズムがぎゅっと詰まっている。
雨は程よく降り、風は調和して吹き、四方の海は穏やかで、世界は安らいでいる——そんな状態は、けっして「静止」ではない。むしろ、すべてが健やかに、自然の理に従って「動いている」ことにほかならない。

今回の作品では、少し古典的な書風を選んだ。
自由な余白を楽しむのではなく、きちんとした線で、落ち着きのある構成で仕上げたいと思った。読めなくてもいい、というよりは、読めることそのものが「整い」の象徴になるように、一文字一文字をていねいに運んだ。

こういう気分になるのは、季節のせいかもしれない。
はじまりの熱に満ちた夏の入り口で、なぜだか人は、無意識に確かなものを欲する。
それがかたちを持った言葉であればなおのこと、静けさを内側から感じさせるような文字であれば、もっといい。

静かなものが好きだ。けれど、ほんとうの静けさというのは、微細な変化に満ちている。動いているからこそ、僕たちはそれに身をゆだねることができる。

《雨順風調四海寧》。
この四文字が、初夏の入り口に、少しでも呼吸の深まる感覚をもたらしてくれたなら、書き手としてそれに勝る喜びはない。

小杉 卓

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