裁縫工場
先日、富山を訪れたときに裁縫工場を案内してもらったときのことを思い出している。

北陸の風が肌に触れ、柔らかい午後の光が降り注ぐ中、その工場の扉を開けると、裁縫工場という初めての空間に自然と背筋が伸びた。ミシンなどの機械がたくさん稼働していて、いろいろな音が入り混じっているけれど、工場の部屋の中は想像していたよりもずっと静かで、たくさんの職人さんたちが布を縫い合わせている様子が目に入る。すべてが手作業だ。
高価な服も安価な服も、同じ手作業でしか作れないという事実を、そこで僕は初めて強く実感した。
日本の裁縫工場はかつて、世界的にも高い評価を受けていた。しかし、近年ではその数が激減しているという。1990年には国内生産比率が50.5%だったが、2014年にはわずか3%、そして2021年には1.8%という驚くべき低さにまで落ち込んでいる。これは、グローバル化とファストファッションの影響を受けた結果だと考えられる。
工場内で見た職人さんたちの手の動きと背中からは、そんな数字には表れない熱意を感じた。
服を「大事にしてほしい」
工場内を案内してくださった方の、服を「大事にしてほしい」という言葉が印象的だった。言葉自体はシンプルだが、この言葉には確かな厚みがあった。
服というものが作られる過程には、時間と技術、そして職人の手間が惜しみなくかけられている。デザインを考え、生地を選び、パターンをおこし、縫い上げ、仕上げていく一連の作業は、まるで作品が規則正しく生み出されるような繊細なプロセスだ。目の前で職人さんたちが布を縫い上げる様子を見た自分は、服に、ある種の「作品」としての存在感を強く感じずにはいられなかった。

高価なブランド品であろうと、手頃な価格で購入した服であろうと、すべての服は手作業で作られている。これを理解しているかどうかで、服を選ぶとき、着るときの心持ちが変わるのではないだろうか。僕たちがファッションとして纏う服が、多くの人の手間と時間によって生み出されているのだと知ることが、服への敬意を深める第一歩だと感じた。
「ファストファッション」という言葉
「ファストファッション」という言葉を、僕は子供の頃から耳にしていた。しかし、それがどのように作られるのか、具体的な「作る」プロセスのイメージは極めて曖昧なものだった。今思うと、ただ「安い」「早い」という印象が強すぎて、その背後にあるものに深く考えを巡らせることはなかったのだと思う。普段、僕もファストファッションと言われるような服を着ることもある。低価格で手軽に手に入る服は、もはや日常の一部になっているが、富山での体験を通じて、その見方が少しずつ変わっている。
ファストファッションといわれる服も、必ず誰かの手によって作られている。価格の理由・背景を思うと、この産業を通して実現される「幸せ」とはどのようなものなのかを考えさせられる。
「大事にしてほしい」という言葉
富山での体験を通じて、「大事にしてほしい」という言葉が心に残っている。服を作り上げる手間と愛情、それを受け取った私たちがどれほどそれを大切にするかというテーマは、服にとどまらず、全ての「作り手」の思いなのだと思う。

「大事にしてほしい」という言葉の意味を自分の中で深めていった。それは服だけではなく、僕たちが日常で触れるすべてのものに当てはまる言葉なのだ。作り手の心が込められたものを、受け手としてどう大事にするのか。その意識を持って生きることが、今の時代に求められていることだと思う。
作り手の声に耳を傾ける

僕はこれからも、現場を訪れ、作り手の声に耳を傾けていきたいと思っている。
スマホやパソコンの画面に表示される情報に満足するのではなく、その場でしか育たない言葉がある、そのときにしか生まれない言葉があるということを、僕は身をもって感じている。裁縫工場の方が言った服を「大事にしてほしい」という言葉には、その場でしか感じ取れないあたたかさがあった。
私たちが本当に大切にすべきは、物そのものだけではなく、その物を作り上げた人々の思いも含めて、全てを大事にすることだと、あらためて思う。そして、それは日常のどんな小さな選択の中にも反映されるものだと考えている。
作り手の思いを聞き、感じる機会をこれからも大切にしていきたいと思う。
小杉 卓