『手で書く』ことは、小さな満足を手に入れること。

小さな満足を感じられる時代

 

人が何に満足するかというのは、その人が何を求めているのかということでもあります。

 

戦後から平成前半の時代、多くの人は“レール”に乗ることを求めました。いい大学、企業へ進み、昇進し、車、マイホーム。求めるものは明確にそこに提示されていたけれど、よく言われているように、現代にそれを求める人が少なくなっているというのは、気のせいではないでしょう。

それは、生活の中で衣食住やモノがある程度安定してきたということでもあって、社会問題は尽きることない現実はあるにせよ、いわゆる“平安”な時代といえるのかもしれません。

 

戦後から続いた激動の時代、人ははっきりした変化を求め、満足していました。

しかしいま、そういった劇的な大きな変化は少なく、そして珍しいことではなくなりました。

 

ちょっといい食事を食べる。

海外旅行へ行く。

ゆっくり本を読む。

友人とスポーツをする。

 

こうしたの時間の使い方は、家や車を買うことに比べれば社会的には小さな変化かもしれません。

しかし、僕たち個人にとっては大切な『小さな満足』であることは間違いありません。

 

社会的に見れば変化の振れ幅は小さくなりながらも、いや、もともとどの時代にも『大きな変化』も『小さな変化』もあったのかもしれません。様々な変化がありながらも、ほんのちょっとした変化にも敏感に反応できる時代、それが今なのかもしれません。

 

僕たちは個人的な『変化』を確実に積み重ねている。

小さな変化にも、小さな満足を感じられるようになっている。

そんな流れの中を生きているように思います。

 

 

手書きにはちょっとした変化がたくさん詰まっている

 

手書きは『小さな変化』に富んでいます。

 

その時に使うペン、インク、紙。

その日の天気。

書くメッセージは縦書きなのか横書きなのか。

文字の大きさや配置。

 

一文字ごと、一枚ごとに上手くいったり、上手くいかなかったりの繰り返し。

そんな、ちょっとした変化を感じながら言葉をしたためていく時間と空間が手書きです。

 

 

何百字もある手紙の中の本の一文字でも美しく書けたら、『ああ、綺麗な字が書けたな』と満足してもいい。

爽やかな秋晴れの日に素敵な言葉を思いついたら、それをノートに書きとって『いい言葉に出会えたな』と満足してもいい。

 

身近にある『小さな満足』は、自分の手でしたためることだってできるのです。

 

小杉 卓

 

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