「答えのない問い」に、何回くらい向き合ったことがあるだろう
学校生活の中で出題される問題には、たいてい答えがありました。
テストの問題にはすべて答えがあり、卒業後の進路相談にも答え(だと思っていた進学先・就職先)がありました。
でも同時に、答えのない問いというのもいくつかあったように思います。
本を読めば、主人公の行動が正しかったのかどうか考える。
音楽を聴けば、その演奏は正しかったのか(?)どうか思いを巡らせる。
山に登れば、なぜ山になんて登るのか。
その答えを自分で考えるより仕方がないし、しかしいくら考えたところでその「答え」が正解なのかどうかを確認する術はない。
きっとみんな感じているのかもしれません。
何のために勉強しているんだろう。
この仕事をしていて意味はあるんだろうか。
いくら考えたところでその答えが見つからない、あるいは見出した答えが正解なのかどうかわからないという「問い」は、いつでも、いくつでも自分について回っている。少なくとも、それなりに悩んだり、考えたりしながら生きていれば。
イングランドプレミアリーグ・レスターに所属する岡崎慎司選手のブログに印象的な言葉があった。
実は「自分が何のために今サッカーをやってるのか」と自問し続けた。自分がやってきたものが何か、信じて来たものが何か、と、あらゆる場面で自問し続けた。
答えはない。でも、結果は出る
写真:http://shinjiokazaki.com/photos/
『答えはない。でも、結果は出る』
どんな悩みであれ、選択であれ、ほとんどのことはそれが正しいかどうかわからない。分かりようがない。誰かが答えを教えてくれたところで、「本当にそれでいいのか」と考え始めればきりがありません。
でも、
どんな状況であっても、結果は常に発生しています。
どんなに自信のない回答にも、返事はある。
想像以上の結果を生むこともあるでしょう。
自信満々の選択も、ちょっとしたことで大失敗に終わることもあるでしょう。
何が正解かなんて、その答えはいくらでも変わる可能性がある。でも、結果は変わらない事実です。そのときに自分が出せる結果に責任を持つこと、そしてそれを答えに変えていくことが「答えの出し方」なのかもしれません。
サッカー選手として常に結果を出し続ける岡崎選手の言葉に、ひとつの答えを見つけた気がする。
小杉 卓
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