流れ星に願い事をすると叶う、という話がある。
「願掛け」の類だと思っている人も多いと思うが、実はこの話には科学的な根拠がある。
一時間に何個も流れ星を観測できるような流星群の時期は別として、流れ星は日常生活の中でそう簡単に見られるものではない。
物理的には毎日何百個も流れているという流れ星だが、ふと夜空の星を見ていて、キラッと一瞬の微かな閃光を見られる確率は極めて低いといっていいだろう。
・その日の気象状況
・夜空を見る環境(東京と田舎とでは大きく違う)
・見ている空の範囲(窓から見るか、外で見るか)
・その人の視力
様々な条件が重なってようやく巡り合う流れ星。僕自身、流星群の夜以外に流れ星を見たという記憶は年に数回だ。といってもこれは主に登山をしているときで、とても星空がきれいに見える山中にあってのものだから、都市部にいるときに見た記憶はほぼゼロだ。
そんな流れ星、ふと巡り合ったときにとっさに願ってしまうような願望というのは、自分の心の中で常に考えていることではないかと思う。
それだけ強く心で考えていることは、あらゆる生活の場面である意味で結びついている。
「あ、この表現は参考になりそうだな」とか、
「この人の考え方は賛同できる(できない)な」とか、
流れ星を見たときに限らず、
人と話をしている時も、旅行に行った時も、食事をしている時も、そのちょっとした糸口があれば自分の心の中で自然と願い事に結びつけられていく。本気でそれを続けていれば、いつか成し遂げることができるだろう。
「流れ星に願い事をすると叶う」というのはつまり、
偶然巡り合う流れ星を見たときに瞬発的に思い浮かべるくらい心の中で強く考えていることは、生活の中でも深く考えていることに違いなく、考え続け・行動を続ければそれを達成できる。
ということだ。
流れ星は、見えていないだけで本当は昼も夜も流れているという。
日常生活の中でも、例えるなら
「発想の糸口」としての流れ星は、生活のあらゆる場面に流れているといったら、少々気障な表現になるだろうか。
「好きなこと」をやりたいと多くの人は言う。
ここで大切なのは、その「好きなこと」をしっかり定義することだと思う。
「好きなこと」をやることと、「好きなとき」にやることは全く違う。
好きなことをやるためには、長い期間やり続けたり、しんどくてもやったり、厳しく向き合わなきゃいけないときが必ずある。
そういう意味で、気が向いた時にだけ取り組むようなことというのは、この話における「好きなこと」とは違う。
僕が考える「好きなこと」とは、イコール、「気づくと常に考え続けていること」である。
好きなことを続けることは、ときとして厳しい場面もある。
でも、正直に「好きなこと」に向き合っていれば、どこかを流れる「星」は必ず見つかる。
その「星」に気づいたときに、とっさに自分の志に結び付けられるか、行動に移せるか。
願い事をかなえてくれるのは「星」ではない。
それは、その人の姿勢次第だ。