その行為が価値あるものだと証明する最も大切な方法。

三日坊主という言葉がある。ご存知の通り、何かを始めても3日目には飽きてしまうというような例えで、非常に飽きっぽく長続きしないという意味だ。僕もなかなかに、この三日坊主というタチである。

毎日日記をつけようとか、
毎日寝る前に30回腹筋をしようとか、
毎朝5時に起きてランニングをしようとか、
決して長くはない僕の人生だけど、続けられなかったことリストはけっこう長くなると思う。

「何事も続けることが大事」というのは小中学校のころから耳タコだが、みなさんにも、始めてはみたものの続けられなかったことはいくつかあるのではないかと思う。

しかしである、
そんな僕でも書道や音楽は今も続けている。そして書道も音楽も、その楽しさや意義を周りの人にも知ってもらえたらうれしいし、一緒に取り組むことができればいいと思うこともたくさんある。そのときに、どうやってその価値を伝えるのかはいつも難しいと感じる。どうすれば、その価値をうまく伝えられるのだろうか。

僕が書道と音楽を続けてこられた理由は2つあると思っている。

まず、好きで好きで仕方がないもの。僕にとっては書道がまさにこれである。小中学校のころの長期休暇では書道の宿題が出された人も多いと思う。この宿題だけは(というか書道が)好きだったものだから、何十枚も練習していたし、「もういいんじゃない?」と親に言われても書いていたこともある。

これは祖母の教え方がうまかったように思うが、字がきれいにかけたときの気持ちよさであったり、周りの人から褒めてもらえるというのは子供心にも素直にうれしいものだ。結果として、取り組み方は大きく変わったけれど今でも書道を続けているわけだ。

そして、音楽が長続きした理由は、自分にとって音楽は価値があると感じられたからだと思う。価値、というのは漠然とした言葉だけれど、僕にとっての音楽の価値とは、まず聴いていて・演奏していて楽しい・気持ちがいい。そして、アンサンブルやオーケストラの合奏・演奏会での友人との交流は、何事にも代えがたい。

正直なところ、ピアノを習い始めたころは練習が大嫌いだった。週一回のレッスンの前日にだけほんの少し練習するか、ひどいときはなにも練習せずにレッスンに臨むこともあった(先生ごめんなさい)。だけど中学生になって、少しずつ自分の好きな曲が弾けるようになってきたり、部活動の合奏で音楽の楽しさを感じたりすることで、自分の中で音楽というもが価値のあるものだということに気づいていった。書道を好きで続けていることも、もちろんそれに価値があると思っているからなのは言うまでもない。

好きなことと、価値があることは続けられる。

逆の立場になってみると、ほかの人がやっていることを見て「楽しそうだなあ」とか「あれは良いな(価値があるな)」と感じるのはどんな時だろう。

例えばやったことのないスポーツに誘われるとき、
「一回やってみて楽しかったからやろうよ」と言われても、いまいちピンとこない。説得力に欠ける。しかし例えばそのスポーツを10年やっている人はそんな誘い方にはならないだろう。自分はそのスポーツのどんなところが好きで、どんな良さがあって、昔からずっとやっているという話が、まずあるのではないかと思う。こういわれると、ふむふむと考えてみたくなる。この人が10年も続けてきたのだから、それだけの魅力があるのだろうということが想像できる。

そのことを長い間続けている、というのは説得力があるものだ。
長い間売れ続けている商品が魅力的であるように。
長い間読まれ続けている本が魅力的であるように。

ずっと続けているという姿勢が、なによりもその価値を物語っている。

続けること。
それが、その行為が価値あるものだと証明する最も大切な方法なんじゃないかな。