「いつもの調子」を作るために、Aの音を確認する。

音楽でいうチューニングは、楽器の音の高さを合わせることです。調弦、調律と同義ですね。オーケストラではオーボエが吹くA(ラの音)を基準にして弦楽器・管楽器すべての音程を合わせます。演奏を始めるにあたって、ひとつの基準に音程をそろえておかないと同じ「A」がバラバラの音程で奏でられてしまいますから、とても大切な作業ですね。

数年前のラグビーワールドカップでは五郎丸選手の「ルーティン」というキーワードが流行りました。ある一つの行動を確認し、それを基準に連動する活動を調整していく。結果としてその活動を、それまでの練習内容やイメージに忠実にパフォーマンスすることができる。チューニング、ルーティン、言い方は異なりますが感覚的には近いものがあるかもしれません。

このチューニングというものは、僕は人の生活の中にもあるんじゃないかと思っています。自分を「いつもの調子」にもっていくための儀式のようなものですね。日々の仕事にとってもきっとそうだけれど、僕も書道表現をする中で、毎日一定レベルのアウトプットを続けることがとても大切です。「今日はちょっと調子が悪いな」といって上手くもない表現をしてしまうことは避けなければいけない。自分の「調子」を自分で一定状態に保つために、何かをしなければいけない。これが、僕の考える生活の中でのチューニングです。

僕にとってこのチューニングは2つあります。

一つはランニング。週数回走っているのですが、これは体の調子にすごくかかわっている。書道って、特に大きな作品は体を使うんです。書道パフォーマンスの後なんかは(恥ずかしながら)足腰あたりが筋肉痛になることもあるくらいです。

もう一つは山登り。これはそう頻繁に行けるものではないのですが、春から秋にかけてのシーズンに月一回くらいのペースで山に登ります。テントに泊まると電気・水道・ガスというライフラインが限られ、もちろん携帯の電波もつながらない場所がほとんどです。でもそんな環境に身を置くからこそ、日々の喧騒の中にあっては気づかない便利さや情報との距離の取り方を感じたり、言うなれば社会的なチューニングだと思っています。

 

ランニングも山登りも体を動かすことなので、身体的に「整っていく」感は目に見える形で実感できます。しかしもう一つ嬉しい側面は、思考の整理もできること。シンプルな作業を一定時間続ける中では、一つのことをじっくり考えるということはあまりない。むしろ、いろいろなものを少しずつ考える。すると、その問題がどうして行き詰っていたかがはっきりしたり、別の切り口で考えることができたりする。動きながら自然と考えが整理されて、新しいアイディアが生まれてくる。そんな時間です。

お風呂に少し長めに入ることだったり、スポーツをしたり、本を読んだり、好きな音楽を聴いたり。チューニングの方法はたくさんあると思います。チューニングによって整えられる自分の「いつもの調子」が意識的に作れれば、そのチューニングをより楽しむことができるし、ひいては活動のパフォーマンスも上がってくると思うのです。