71本の筆を洗いながら考えたこと。

先日、さる事情により筆を71本洗いました。
そうです。もちろん書道用の筆です。
大筆36本と小筆35本。
3時間くらいかけて。

そんな中ぼんやりと考えていたのですが、
僕は筆を洗うのが好きなんだなぁ、と。
もしかすると書道のあらゆる行程の中で最も好きなことの1つかもしれません。

洗った筆は全部同じ種類の筆でしたが、
同じ種類とはいってもそれぞれの筆に使われている毛には
一本一本微妙な違いがあるわけで、
それが何百本、何千本…一本の筆になってしまうと、
これまた大きくその筆の性格を変えるんですよね。

今回洗った71本は実際に僕が遣った筆ではありませんでしたが、
「あぁ、この筆にはきっとこんな癖があるんだろうなぁ」
「お、この筆だったらあんな線が書けそう」
なんて考えながら洗っているともう、楽しくて仕方がないんですね。

いつも遣っている筆を洗うときなんかは、
その日書いたものを眺めながらいろいろ反省をしたり、
自分で書いた線にビックリすることがあったり、
明日はあんな風に筆を遣ってみようなんて考えたり、
筆とともに反省会の時間になるんです。

筆を洗っているとき、
それは筆というパートナーと最も身近にいるときなのかもしれません。
何回も何回も墨をしごき落していく作業は筆との会話に他なりません。
といったら少し大袈裟かもしれませんが…。

書道というと、
筆に墨を含ませて紙の上を滑らせるその瞬間に本質があるようにも思いますが、
いや、もちろんその瞬間もとてもとても大切なんですが、
筆を洗ったり、あるいは墨を磨ったり、
目立たないけど、
本当に大切な時間があることを忘れてはいけないなと改めて思う。

小杉 海京