京で見たこと、書いたこと
京都でもっとも重要なテーマの一つは「旅をしながら書く」ことだった。
ポイントは「旅をしながら」、
ここ。
見たことや聴いたことを後で作品にするのではなく、
その場その時に筆を持つということ。
筆と墨、普通の大学ノートを携えて、
いろんなところで書きました。
新幹線の座席、東寺の茶屋、三条河原町のスタバ、ホテルのベットの上、、、
芸術はメディアという側面をもった表現でもあります。
書はメディアたりうるのか、そんなテーマに取り組んでみたつもりです。
発信する手段として圧倒的に分かりやすいのは写真と文章。
カメラ機能と文章入力機能を持ったスマホは瞬時にそれを可能にしてくれます。
便利ですね。
その場で感じたことを「表現」したい。
それは表現者にとっての最も直感的な欲求の一つです。
作品を創るのにじっくりと時間をかける場合がある一方で、
感じたことをすぐその場でカタチにしたいというのは、
もぎたてのフルーツをその場で食べるような新鮮さがあるのです。
私にとってはその手段が「書」であるわけで、
その場で見たモノや聴いた音を言葉にして、
その場で道具を広げて書きたい、という旅でした。
その作品を観ることでその情景を感じること。
これが理想です。
そのために、
今回のトライで感じた課題は二つ。
技量と見せ方です。
その場で書くわけですからたくさんの練習ができるはずはありません。
一発、よくても2,3回書く程度で、その「書」を紹介することが求められます。
ライブで見ている方にはその臨場感が伝わるかもしれませんが、
画面を通してその書を観る方にとっては「書」こそがすべて。
まだまだ十分な表現ができない自身のレベルを再確認しました。
練習あるのみ。
そして見せ方。
書を写真と同じような感覚で紹介しても、なかなかニュアンスが伝わらない。
解説を工夫しようにも「言葉×言葉」という構成を、
くどさを感じさせることなく伝えるにはまだまだ文章力が足りない。
磨く必要がある。
単なる画像、静止画ではなく動画などにも挑戦してみた。
こういったときに、手がもう一本あればと本気で思う。
筆先が紙をなぞるその瞬間を間近に感じてもらおうと、
右手にカメラと筆を二つとも持って書いてみたり、
カメラの早送り機能を活用してみたり、
いろいろやってはみたものの「これ」といった視点の獲得には至らなかった。